NEWS & BLOG, 2024 - 1st part
Articles from old my website.
日々のメモ 20241118
2024.11.18-mon
今週末にsayurinaito.comのウェブサイトを移管する予定でしたが、ぜんぜんうまくいかなかった、、、。しくしく。ドメインのDNSレコードが何度やっても追加できないんですよ。もうそういう仕様なんだと諦めて、先にドメイン自体を別のところへ移管することにしました。手続きは済んだので、今週末には無事に新規の管理事業者に移管完了→リニューアルしたウェブサイトに繋がる予定です。
そうそう、新しいところは。
www.sayurinaito.comと「www」をつけないといけないようです。リダイレクトできるように設定できれば良いのですが、頭の「www」が必要ならしい。まだよくわかっていないけど。
ちょっとの間繋がらないことがあるかと思いますが、ウェブサイト経由で内藤へご連絡をと思っていらっしゃる方は、オンラインストアhttps://sayurinaito.square.siteのコンタクトページより、ご連絡いただけますと幸いです。
熱の出ないインフルエンザ?風邪?が流行っているようで、我が家ももれなくかかってしまいました。最初、夫の友人が「今、奥さんと一緒に病院に来ていて二人でダウンしている」と連絡してきて、これは大変だと思っていたら、うちの夫も体調不良に→で、私にうつる。交互に買い物に行ったりして、家族がいると順番にかかってしまうが、安心することもある。夫友人曰く検査しても判明しないらしいんですよ。みなさんもどうぞお気をつけくださいませ。
日々のメモ 20241110
2024.11.10-sun
この間はパソコン作業をしていたら、いきなりシャットダウンになって真面目に焦った。我が家の魔改造しまくったパソコンは、元はMac pro 2010で、かなりのおじいちゃんだ。。。でも、定期的にSSDを交換して、グラボもメモリもUSBカードも盛りまくっているのに。埃でも溜まりまくったのかしらと、中を開けても、そんな事はない。電源ケーブルやらを抜き差ししながら、再起動を試みたりしているうちに、どうやらDVIケーブルの接種不良とわかった。が、いつから緩んでいたの?あと、なぜかメモリ1のスロットにエラーランプが付いてる。ん?一個マウントしていなかったって事??差し直して起動してみると、画面の切り替えスピードが明らかに違う。これも、いつからなん?と思ったけど、原因がわかったからまあいいか。まだまだ大丈夫そうだし、あんまり気にしても仕方ない。
結局、プロケーブルでデュアルリンクのDVIケーブルを買い直す。今まで使用していたのが6ミリで、新しいのは9ミリの太さになったから安心感半端ない。ゴツくて頑丈そう。
10月は家に点検と工事が入ったから落ち着かなかった。私も夫も家が大好きなタイプだから、他人が巣に入ってくると思うと耐えられない。
現在、ホームページをリニューアル中で近々移管する予定です。無事に完了すると良いですが、一時的に繋がらなくなるかもしれない、、、。アドレスは変わらず、sayurinaito.comです。どうぞよろしくお願いします。
日々のメモ 20240807
2024.08.07-wed
月面探査機のモモンガSLIMくん。とうとう、夜を超えることができなくなったらしい。しかし、「たゆたえども沈まず」という言葉があるように、逆立ち着陸してしまったままでお疲れなのだから、また元気になるまでじっとしてたら良いよ、と思っていたら、NASAの衛星からのレーザー照射を受け取ることができたみたい。
これにより、SLIMくんを目印にいろんな探査機が今後活躍しやすくなるようだ。彼を道標に月へ着陸した後は、ぜひ他の探査機たちはSLIMくんの逆立ちを直してあげてほしい、笑。
困難な時は抗うだけではない。状況が変わって再び浮上してくるまで、その場所に留まっておく。
暑くてあまり展示を見に行けていないけど、基本的に私は、何を見ても、どんな本を読んでも、写真だったらこういうことかな、自分の写真に活かせそうだな、とつい考えてしまう、エコというか、ある意味コスパが良いというか、まあ幸せなタイプなので。
美術や音楽の授業を無くした方が良い。というツイッターを見て、試行錯誤を学ぶには、言葉だけではなく身体も動かすのが一番わかりやすいのに、随分ともったいないことを言うと思った。
もちろん、不器用な人はいる。うちの夫は左利きというのもあって、道具を使うと恐ろしく不器用。その代わりに、身一つで対応できるものが得意だ。私も小学生の時にピアノは習っていて、なんとか伴奏が出来るくらいまでは上達したけど、はっきり言って夫のほうが上手い。部活も身一つ系のハンドボールとレスリングをしていたらしい。道具を使わない身体能力がめちゃくちゃ高い。それに対して、私はテニス部だし、カメラを使って写真を撮っているので、道具を使うのに向いている。
身一つか道具を使うか。小学生の時にいろいろな授業の中から自分に向くものを見つけていく。習い事以外のものに触れる経験は、知識と教養を深めてくれる。最近の小学生は、みんな手足が長いので、それだけでもかなり有利なんだから、中学受験だけではなく、身体を動かすスポーツや音楽、美術もぜひ挑戦して貰えたらなあと思う。
ちなみに私は、体育は5段階評価で4。夫は常に5。そんな夫でも、代表合宿に呼んで貰ってオリンピック代表候補を見た時に、あまりにもの身体能力の高さにびっくりしたらしい。お声がかかって、JAPANティーシャツを貰えただけでもとても光栄なので、死んだ時にはぜひ棺桶に一緒に入れてほしいと今から言われている。w
オリンピックを開会式から見ていて、色々な話題を目にしたけど、柔道の審判は未経験者でもなれる、というのが一番衝撃的だった。だから、細かい技術を見れないのかと、一連の判定にすごく納得した。
デイヴィッド・ホックニーが『秘密の知識』の中で、技術的な知識が顧みられなくなってくると、そのツケがやがてまわってくる。というような事を言っていたのを思い出した。技術は支えるもの。それなくして、どの分野も成り立たない。
とかく言葉にすることが求められる時代だけれど、身体を動かさないと形にならないもの、スポーツや音楽、美術は、言語思考だけではなく、視覚思考がとても大切なんだ。
日々のメモ 20240623
2024.06.23-sun
内藤家の一番古いお墓には、「嘉永」の年号が刻まれている。その20年くらい前から住んでいたと考えると、だいたい写真のはじまりと同じくらいの歴史がある。そう思うとなんとも言えないくらい不思議だ。
江戸時代から農家のおうちなので、どう育つかわからない、場合によっては実らないかもしれない、そういうものたちに、手をかけて、立派になるように大きくしていく。ものづくりの遺伝子は代々受け継がれているのではないか。写真家として作品を作る道を選んでしまったけれど、もしかしたら結構向いているのかもしれない。最近、そんな風にようやく思うようになってきた。
商人の血は流れていないので、お金を稼ぐのは向いていないと思うが…。商いの運勢はどこで巡り会えますかね…。
写真家としての「運」がないかと言えば、まあ、ある。今年の始めくらいに、ペンシルベニア大学の図書館から納入依頼がきた時は、びっくりしたけど嬉しかった。少し前の作品だから、発表当時とは世の中の状況が違う。長く時代に耐えられるように、普遍的なテーマで作品を作っているとはいえ、時間と場所を超えて必要だと言われたようで、今更ながらに幸せを感じている。でも、どこで私の写真こと知ったんだろうねえ。
ある日、どこかの誰かが私の作品を知る。今まで、なかなか縁が無かった国と繋がる。撮影した事のない国からもお声がかかるのは不思議だ。理由はあるのかもしれないし、ないのかもしれない。そんな感じで、ものごとは進んでいく。
良かったら、ぜひお手元に一冊置いて貰えると幸せです。(実物を見たいという方は、東京都写真美術館の図書室に納入されていますので、展示を見るついでにどうぞ。)
*
21歳くらいの、まだ何にも考えてないにも程があるぞ、と説教したくなるくらいに、ただただ惹かれたものに反応していたころの写真。でも、今とあまり好みが変わっていない…。まあ、この間、一貫しているっていう話をしたばかりだし。
もちろん、変わったところは、きっとあるだろう。でも、いろんな写真を見ていろんな影響を受けているはずなのに、変わらなかったところ、変わりようがなかったところ、こういうものの積み重ねが大切なんだろうな。
それで、リニア新幹線が中国山脈を突っ切って九州まで繋がると、もう少し頻繁に実家に帰れるんだけどねえ。2拠点生活をするほどマメなタイプではないんだけど、実家は守らないといけないし。広いアトリエもできるかもしれない。願望…!
日々のメモ 20240611
2024.06.21-tue
そういえば、30歳ぐらいの時、私の写真を見て「なぜ、人がいないのか」という質問をたくさん受けた。私からすると「なぜ、人が写っていないといけないのか」と問いたかった。
前にも書いたかもしれないけど、写真を始めた20歳ぐらいのころ。当時、アシスタントで勤めていた広告カメラマン事務所の先輩に目黒川の橋の写真を見て貰った時に、「こういうのは、誰かが通った時に撮るものなんだよ」とアドバイスをされて、随分と不思議なことを言うんだなと思ったことを今でもしっかり覚えている。
人がいないから、良いと思ったのに。
その時思ったことは、私の中からずっと消えなくて。ポルトガルへ行く前、自分の今まで撮ってきた写真を見返した時に、やっぱり私は「人が写ってないけど、人の気配が残っている写真」が好きなんだなと改めて思った。
思い切って、人を撮らずに旅をしてみよう。人の気配が、それが街のかたちを作る。
気配には濃度があって、雨が降ると静かになったり、光に包まれると人の温度や気配は溢れてくる。
場所や、例え技法が変わったとしても、街をかたちづくるものは変わらない。そう考えて、作品を作っている。
新進作家展の時に、一緒にトークショーをした石川直樹さんに「内藤さんは、すごい一貫してる」と言われたことを覚えている。自分は基本的にシンプルな人間だし(マルチタスクではないとも言う…)、何よりも、誰かの作品を下地に作っているのではなく、自分の中から出てきたものを作品にしているので、ブレる必要がない。
意外に思われるかもしれないけど、モノクロで人が写ったスナップ写真は昔から大好きだ。最初はブレッソンを好きになった。そして、森山大道を好きになったのは36歳ごろ。アラーキーは38歳ぐらい。ロバートフランクに魅了されたのは43歳くらいで、まあ、写真好きとしてはかなり遅咲き感があるけれど。名作と呼ばれるスナップ作品たちはどれも素晴らしくて、自分からその作家の魅力に気づけてよかったと思っているし、その時の感じた事も大切にしたいと思っている。
でも。
誰かの作品で好きなものと、自分の中から出てきたものは違う。
誰かに憧れたとしても、私はその誰かにはなれないのだし、だからこそ、自分の中から生まれたものを大事にしたいと思う。
言葉の付加価値や文脈の中で制作する現代のアートからはかけ離れている自覚はあるけれど、まあ、ひとりぐらいは私みたいな写真家もいても良いじゃないって思っている。
最近は人が写ってないことも、わたしがPhotographを光の画として捉えていることも自然に見て貰えるようになってきたし。
夫からも、「ひとりご領主」タイプと言われた事もあるけど、自分の作品の世界は、自分でひとつずつ積み上げていく。
日々のメモ 20240514
2024.05.14-tue
古典と天体観測。
東京ではオーロラは見れないけど、テレビやネットでたくさん見たので満足。一生分見たかも。
いにしえの時代より、オーロラをモチーフにした和歌とかあるのかしらと検索したら、鎌倉時代、藤原定家の『明月記』に赤気(オーロラ)の事が書いてある。
日本書紀にもあるし、織田信長は赤気を見て凶兆だとは捉えずに戦に行ったらしい。
古文は返り点がどうとかこうとかで、あまり授業が楽しいと思わなかったけど、こうやって、今起きてる天体現象といにしえを行ったり来たりするとはるかに興味深い。
あと、『明月記』のタイトルがとても好み。言葉の響きが良い。書かれたのが1180年〜1235年で、それから約800年後に「藤原定家はいい題名を付ける。なかなかセンスがある」って思うんだからおもしろい。
こうやって長い年月を経て古典になっていくことを思うと、自分の作品はやがて古典となって残っていくのだろうか。美術館には収蔵してもらっているが。古典と呼ばれるようになるには、きっといろんな解釈が必要なんだろうな。
有名な古典作品に多くの現代語訳があるという事は、訳者の人数分の解釈があるという事になる。私にとっての『源氏物語』は「詩(うた)に詩でかえす、歌物語」のイメージなんだけど、その解釈と現代語訳が存在するのが、古典の素晴らしいところだと思う。
A・ウェイリー訳(解釈)の『源氏物語』を高校生の時に読んでいたら、もっと古文が好きになっていたかも。
そう思うと、作品の解釈はたくさんあったほうがいいかもしれない。見る人によって感じる事は違うだろうから。
まあ、あんまり作家の考えとかけ離れるとアレだけど。でも死んだあとは関係なくなるのか。なるほど。で、死後は作家が語った言葉が大切になるのだろう。そう思うと、「日々のメモ(ぜんぜん、毎日ではないが…。)」は続けていこう。
作品のセルフ解説は、オンラインストアの記事のほうがおもしろいと思うので、そっちを読んでください。
そうそう。先日のプライムニュースに、SLIMのプロジェクトマネージャーの方々が出ているのをちゃんと見ましたよ。
小型月着陸実証機のモモンガSLIMくん、うっかり逆立ち着陸をしてしまったかと思いきや、怪我の功名で、石が10個も映っていてかなりラッキーな状況ならしい。月の石に犬の名前を付けて愛でながら観察をしているところも良い。
お友達のインドのチャンドラヤーンくん(月探査機、ヒンディー語で「月の乗り物」という意味) が、逆立ちしているSLIMくんの画像を送ってくれたりして、仲間もいて心強い。ぜひまた夜を乗り超えてほしい。
ところで、テレビに出ていたプロジェクトマネージャーの方が付けていた、SLIMの缶バッチやワッペンはどこで売ってるんだろう。JAXAに行かないと買えないのだろうか。欲しい…。
日々のメモ 20240416
2024.04.16-tue
おすすめに流れてくる大学の先生たちのポストを眺めていると、どこも似たような事が問題というか話題になっているんだなと思う。
論文の書き方を、体系的に教えるべきか、いやいや様式も含めて自分で取得すべし。みたいな感じで繰り広げられている。
自分がワークショップで教えた経験からすると、放置しておいても勝手に育つのを待つのが良いか、最初から体系的に教えるのが良いかは、結局のところ、大人になるまでに試行錯誤が身についているかに尽きると思う。
何よりも、手を動かすのは本人なので、この事を理解できている人は体系的に学ぶとパワーアップできるが、身についていない人は答えは与えてくれるものと思いがち、という印象。
完全放置スタイルよりは底上げにはなるかもしれないけれど。主体的に試行錯誤できる人と受け身の人では、体系立てて教えても結果として差は開いてしまう。
自分の思うような答えを与えてくれないという気持ちが大きくなり過ぎると、アカハラだとか感じてしまうのではないかと思った。
そこは、最後に根性を見せろよと昭和生まれとしては言いたいけど。
コスパもタイパも人によって違う。ある人には無駄かもしれないけど、別の誰かには大切な試行錯誤だったりするし。流れている時間は人それぞれ。あまりそれが許されなくなると、みんな同じような内容になってしまう。
テーマはだれかに与えるものでも、第三者から、もたらされるものでもない。テーマは本人から生まれるもの。
大学の論文の書き方でさえ話題になるってことは、多くの分野において体系的な教えはまだまだないような気がする。(写真もだが…。)
最初からできる人、次に試行錯誤して自らできるようになる人、以上。みたいな。オリンピック選手とかを見ていると、最初からできる上に、試行錯誤が当然で、そこに疑問も持たずに当たり前のように積み重ねられる人が結果を残して行く。
日本は先に教育するより、発掘してから教育するスタイルを長らく取っていたのではと思う。
始めに体系的な教えを受けたとしても、技術を自分のものにするのは時間がかかるし、コツは自分で掴むもの。常に言い聞かせるようにしている、自分に。
日々のメモ 20240331
2024.03.31-sun
モモンガSLIMくん、2回目の夜を超える。
月面探査機のSLIM。中継を見た時から、着陸体制と姿かたちがモモンガに似てるという事で我が家ではそう呼んでる。ツイッターもフォローした。
モモンガSLIMくんはずっと逆立ちのままで夜を乗り越えたのだろうか。愛らしい。でも、シュタッではなく、ふんわりと確実に着陸するためには、ムササビくんのほうが良かったのではないだろうか。そこも可愛い。
で、一番びっくりしたのは、なんとキヤノンが小型衛星を作っていたこと。すごい!!ロマンがあって非常に良い。5年に一回くらいしか新しいカメラが欲しい病にはかからないけど、私のささやかなカメラ購入費から未来に繋がっているかと思うと、実にエモい。
宇宙のために、エモい未来のために、ずっとキヤノンを使い続けたいと言いたい。だけど、今、猛烈にフォクトレンダーのUlTRON 75mm F1.9 SCが欲しい…。笑
日々のメモ 20240316
2024.03.16-sat
そういえば、コロナ初期にカメラ雑誌の休刊が相次いだ際に、「写真の賞をもらっても意味がない」みたいな意見をSNSでよく目にした。
確かに写真は作品として現状あまり売れていない。というか、写真は未だに美術の分野に入れてもらってもいない。
などなど、写真界の実情を嘆いての事からかもしれないし、或いは、別の考えがあったのかもしれない。SNSの特性ゆえ、短すぎる文章からは真意は伝わらない。
もしかしたら、コロナで悲観的な状況になっていたのかもしれない。でも、自分だけではどうする事もできない、コロナに抗ってしまったら死が待ってるかもしれないような状況の時こそ、私は、賞をもらっていて良かったと思った時はない。
文化庁継続支援事業。
写真の専門学校や写真学科を卒業した方は、学歴という経歴がある。でも、私のように他の分野を学んだ者には、写真の分野の始まりの経歴(学歴)がない。
だからこそ、公募に応募して、個展の副賞を含めた賞を貰って、写真家の始まりの経歴として自分のプロフィールに書ける事がどんなにありがたいか。
文化庁の補助金に対していろんな意見があったことは知っているが、私は本当にありがたかった。2010年に買ったMac Pro のグラボとSSDとUSBカードを買って魔改造できたのは助かった。写真用品のいろんなものも購入できたし。
事業名の通り、なんとか継続できている。
フォトプレミオの賞が無かったら、東京都写真美術館の新進作家にも繋がっていないだろうし、作品も買って貰う機会にも恵まれなくて、実績も少なく、申請書を書くのが大変だったと思う。
経歴と実績はお互いに紐付いて、お互いを証明しなければならない。
賞が全てだとは思わないし思えない事もあるが、だからと言って、人様に写真家としての経歴のない人生を歩ませる事はできない。
と思ってるので、写真が好きでずっと続けている方には、私はそっと公募をお勧めしています。
経歴の初期における公募の意味合いは、技術面を見ているところが大きいと思う。
フォトプレミオは発表が個展形式だったので、自分のテーマに沿って撮影が出来ているか、それらがプリントで表現されて、量と質が揃っているか。その辺りを見られていたと思う。
規定枚数30枚というのが大切で、その30枚を見れば、枚数を絞って展示をした方がテーマが伝わるかもとか、もっと枚数を増やした方が良いのでは、或いは、他に差し替える写真がありそう。などなどを見ている。
と、40代になったので俯瞰してみる。(というか、自分も写真を見てもらった際に、そんな感じでアドバイスを受けています)
量と質。
量から質が生まれる事も確かだけれど、質のある量を撮れるように、量と質を自由に行き来出来るように、その為に支える技術が大切になる。
技術を身につける、技術が自分のものになる、撮りたいテーマに合わせて。
技術は時間がかかるかもしれないが、量と質を行ったり来たり出来るようになってから、自分は作品が評価されるようになってきた。
まあ、私の20代の頃はたくさん公募があって、別に大賞じゃなくても、新世紀もひとつぼもあって、ユーナとフォトプレミオも足したら、50人くらいはなんらかの賞を貰えた。
一年で50人くらい選ばれるんですよ。5人だったら難しいけど、50人の枠だったら頑張ったらなんとかなるんじゃないって思って、私は応募しました。
という事で、こんなに大変なコロナもあって戦争もある時代に写真を心ざした若い方に向けて、新人賞も含めての公募がたくさん出来る事を望みます。そうなると良いなあと思ってます。
日々のメモ 20240228
2024.02.28-wed
実家に帰った際に中学の通知表を見て、自分でも意外だったというか、すっかり忘れていた事は、2回も学級代表をしていた事。
1回目はよく覚えている。中学1年生の一学期。B型ゆえに、つい身も蓋もないことが口から出てしまう私の性格を知っている友達に、「さーちゃんだったら、上級生にもきちんと意見を言ってくれそう」と推薦され、学級代表を引き受けた。
意外なのは、ニ年生の時の2回目。持ち回りだったのかもしれないが、通信欄には「クラスのリーダーとして何事も真剣に取り組むことができました。やる気満々のその姿はたのもしく、他の人をもやる気にさせてくれます」と書いてある。自分でもびっくりだ、笑。
他にも、社会の科目では「授業を引っ張っていってくれるリーダーです」と記してある。益々意外、笑。
今の自分は、ひとりで試行錯誤するのが何よりも至福と思っているので、リーダーとかしていたのかと思うと、はー、へー、ほー、意外だねーとか思っちゃう。
でも、これで気が済んだのではと思った。
作品作りもそうだけど、私は気が済むまでとことんやる。やらないと自分の気が済まないし。で、気が済むまでやると、次の新しいことが始まる。興味の対象が移る。それを繰り返す。
まあ、誰しもリーダーになってみたいというのはあるだろうし。でも、先生の評価とは別に、根本的に私は人をまとめるとか、そういう事が向いてるとは自分でも到底思えない。
少女漫画でも、「◯◯くんの事、好きなの…」と周囲に打ち明けて周りを動かすようなタイプとか、優等生のフリをしてみんなを巻き込んで帰りの会的な糾弾をするタイプとか、本当に共感できなかった…。
人を動かすんだったら、自分ひとりでやる。その方が早い。
「人は、三人集まれば派閥や宗教が始まる」という言葉もあるから、人の考えを整理をしてまとめ上げるのは大変というイメージが強い。向いてる人にお任せしたい。
でも、それなりに頑張ってたのね。ふふ。通信欄のコメントを見ると、私は、明るく楽しく、そして自分に素直な学生生活を送っていたようだ。
ペンシルベニア大学図書館
2024.02.08-thu
突然、ペンシルベニア大学図書館から写真集の所蔵依頼が舞い込んできて、私の写真集『TRINITY』と『Once in a Blue Moon』を納品いたしました。
『4月25日橋』は冬青社から同時期に取り寄せ中とのこと。
セルフパブリッシング で刊行した、『TRINITY』と『Once in a Blue Moon』までお声をかけていただけるなんて嬉しい限りです。サインを入れさせてもらって送りました。
海を越えて、アメリカの大学図書館に自分の写真集が所蔵されるなんて!
作品作りを続けていると、たまにこうして良いお話を突然いただく事があって本当に嬉しいです。励みになります。
そのうち、発注済みから閲覧可能になるでしょう。
1月は、日本はいろんな出来事が起こってしょんぼりしていましたが、この件で元気になってきました。
あと、しいたけ占いはなんだかんだ言ってよく当たる気がします。
日々のメモ 20240129
2024.01.29-mon
ココハナ3月号、『銀太郎さんお頼み申す』第13話は能登の伝統工芸のお話。
着物と器を中心に、日本の歴史と文化が現代の視点で描かれている東村アキコの連載マンガ。
いつも、ちょっとだけ切ない。
偶然かもしれないけど、いや、おそらく地震発生後にネームを作ったんだと私は思う。能登の文化と伝統を大切にするんだという、優しくて強い意志が伝わってきて、ちょっとだけ泣いた。
震災で大変な時に、こういう表現の仕方があるんだなと思った。東村アキコ、さすがだな。
お話の中に「合鹿椀」が出てくるのだけど、もしかして、もののけ姫でアシタカが持ってた椀じゃない?と思って検索したら、やっぱり当たってた。一本歯の下駄を履いたジコ坊がアシタカにお粥をよそいながら、「ほう、雅な椀だな」のところで登場する器。
ちなみにうちの実家にある、漆の椀はどこのだろう。昔の家なので、黒の塗り(お葬式用など)と朱(お祝い事用)の椀が何客かある。昔は、結婚式もお葬式も家で行なってたからね。
箱になんて書いてあったかな。田舎なのでそんなに高いものだとは思えないけど、今度実家に帰った時に見てみようと思った。
日々のメモ 20240116
2024.01.26-tue
46歳になりました。
クリスマス前に風邪を引いて拗らせてしまったので、今年は年賀状を出せずに失礼しました。頂いた皆さま、ありがとうございました。
昨年は、父がケガをして手術をした為、秋には農作業を手伝いに広島の実家に帰省したり、あとはマンションの理事になってしまったので、会合に出たり。
慣れない事を色々頑張って、一年の疲れが溜まっていたのか体調を崩してしまった。元気になったけど、目の下のクマが取れないのは中年だからと自分に言い聞かせてる。。。
でもコロナがあったので久しぶりに帰省出来て良かったです。
うちの田舎は未だに屋号で近所の人と呼び合うのですが、内藤家の屋号は「吉永」と言います。「吉永」で女の子が生まれたから「小百合」と名付けられました。。。なんと安直なのでしょう。子供の頃は、きちんと名前に込められた由来のある人がかなり羨ましかったです。
あと、30年振りに通知表のコメントを見たら、先生達は勉強だけでなく生活面もよく観察してくれてたんだなと妙に感心してしまいました。私は中学生から性格がほぼ変わってない。笑
【中三、1学期の通信欄】
「自分で計画し、実行できる意思の強さと行動力を持っています。不得意な事に対して粘り強く取り組めるよう今年の夏休みを利用して頑張ろう。」
と短い文書で、私の性格を実に的確に書いてあり、、。先生はよく見てるねぇ。ま、親もきちんとわかっていたみたいですが。
私の不得意なことは明らかに事務作業。。。
しかし、若い頃と違って定期的に領収書が整理できるようになったので、この時期にいつでも作品制作の事を考えられる幸せを私は手に入れましたよ。
1学年1クラス20人前後の山の中育ちだからかもしれないけど、先生達は個人をきちんと見て、見抜いてた。その上で色んな事を挑戦させてくれていたんだなと思いました。
新作が完成しつつあるので、今年は個展が開催できたらと考えています。
震災が起こって大変な一年の始まりとなりましたが、いつもと変わらず、読書を心の拠り所として粘り強く頑張ろうと思います。
たまーに、オンラインストアのNEWS&STORYも更新しています。
日々のメモ 20240108
2024.01.08-mon
遅くなりましたが、本年もよろしくお願いします。
元旦早々、震災が起こってしまいさすがに動揺してしまいました。
2、3日は眠りが浅く、、、。
しかし、被災していない地域の私たちは、健康に気をつけて、医療リソースに負担をかける事がないよう、気をつけたいと思いました。
クリスマス前に風邪をひいて拗らせてしまったのも、回復してきましたし。目の下のクマが消えないのは、中年だからだと自分に言い聞かせよう。。。
落ち着いたら、我が家の防災用品も見直さないと。
こういう時、自分を落ち着かせてくれるのは読書なので、いつもと変わらず私は本と、そして自分の作品と向き合いたいと思います。
新作が完成しつつあるので、今年は個展を開催できたらと考えています。
できることを頑張ろうと思いました。