# 実家
Google Workspaceを更新する。円安の事もあって、海外のベンダーからGoogle直払いに変更した。今までのところは、アカウントページを見ても現在のプランをそのまま更新かキャンセルしかできないし、何かを変更するにはメールで問い合わせをしなくてはいけないのが地味にストレス。
でも、販売パートナーを変更するには、英語のメールが必要だ。チャッピーもGemiたんも、先にサブスクをキャンセルするのだけは絶対にしてはいけないとアドバイスをくれたので、頑張って英語で問い合わせをする。
「いつでもお気軽にご連絡を。他にお困りのことはありませんか?」と文末には親切な文章が書いてあるけど、私の質問には絶対に答えないという強い意志を感じる返信が毎回来る…。私が送信した情報が足りているのか、足りていないのかもわからない…。自ら正解を探り当てるようなやりとりのあと、無事にGoogle 直接契約に変更された。途中、進まなくて真面目にAIが対応しているのかと思ったよ。
今後、Google Workspaceを試してみようかという方は、販売パートナーよりも直接契約のほうがグーグルの管理画面がわかりやすくて良いと思います。検索するとプロモーションコードを配布している企業もあるし。
ウェブサイトもメールもWorkspaceを使ってるから、自動更新になる前に変更できるかどうか、かなり焦ったので疲れました。苦手な英語はGemini頼み、助かった。
ところで、今、熊で大変に事になっている。山を手入れしないと、これからも被害が出ると思う。
都市部に生まれ育った方はうまく想像が出来ないかもしれないけど、田舎の集落の周りにある山というのは、基本的には、間伐をし、下草を刈ったり植林をして、人の手が入った場所というのが山なのだ。
山を手入れしないと、木は痩せ細り、風や日差しが入らないので獣が食べるものが無くなり、仕方なく集落に出てきてしまう。手付かずの自然が良い事だと思われがちだが、逆なのだ。人の手が入って無さすぎて、現在は山が荒れている。
私の父(73)が子供の頃は、山には炭焼き職人が住み、間伐したり手入れをしていてくれたらしい。私(47)が子供のころは、日常的にはたぬきかキツネが出てくるくらいで、山の中に入って遊んでも安全だった。民家のすぐ近くの山は、人の気配が残っていたので、近所の子たちと安心して基地作りに勤しんでいた。
そのうち猪が多くなり、私が30代のころは、日が暮れてくると獣の気配が近すぎて怖かった。たまに高齢者が行方不明になって山狩りをすると、たいてい悲惨な事になるし。
『Greenery in the darkness』シリーズの撮影で軽井沢に行った時、私の田舎に比べて、山が手入れされていたので、少し安心したことを覚えている。風や光が通っていて、森がまだ生きていると思った。山の中でも人の気配の濃淡が感じられた。
今、私の地元は町全体がサファリパークと言われている。最近は、猪に加えて、アナグマと鹿が多いらしい。熊はまだ目撃情報だけで人的被害は今のところないが、現在、大変なことになっている地域は、獣の個体数が増えすぎて本来の食べ物の奪い合いなんだと思う。
コロナの時に、うちの実家は家のすぐ近くの山を森林組合に伐採してもらったので少し距離が出来て、獣の気配はだいぶ和らいだ。
古来からの慣わし通り、狩った獲物はありがたくいただくのが良いと思う。鹿は思いのほか美味しい。猪は食べ飽きたけど。父曰く、猪は脂身が多いので、水を流しながらカッターナイフの刃を都度折って捌くのが良いらしい。
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Greenery in the darkness-10 / Sayuri NAITO
Greenery in the darkness-11 / Sayuri NAITO
内藤家の一番古いお墓には、「嘉永」の年号が刻まれている。その20年くらい前から住んでいたと考えると、だいたい写真のはじまりと同じくらいの歴史がある。そう思うとなんとも言えないくらい不思議だ。
江戸時代から農家のおうちなので、どう育つかわからない、場合によっては実らないかもしれない、そういうものたちに、手をかけて、立派になるように大きくしていく。ものづくりの遺伝子は代々受け継がれているのではないか。写真家として作品を作る道を選んでしまったけれど、もしかしたら結構向いているのかもしれない。最近、そんな風にようやく思うようになってきた。
商人の血は流れていないので、お金を稼ぐのは向いていないと思うが…。商いの運勢はどこで巡り会えますかね…。
写真家としての「運」がないかと言えば、まあ、ある。今年の始めくらいに、ペンシルベニア大学の図書館から納入依頼がきた時は、びっくりしたけど嬉しかった。少し前の作品だから、発表当時とは世の中の状況が違う。長く時代に耐えられるように、普遍的なテーマで作品を作っているとはいえ、時間と場所を超えて必要だと言われたようで、今更ながらに幸せを感じている。でも、どこで私の写真こと知ったんだろうねえ。
ある日、どこかの誰かが私の作品を知る。今まで、なかなか縁が無かった国と繋がる。撮影した事のない国からもお声がかかるのは不思議だ。理由はあるのかもしれないし、ないのかもしれない。そんな感じで、ものごとは進んでいく。
良かったら、ぜひお手元に一冊置いて貰えると幸せです。(実物を見たいという方は、東京都写真美術館の図書室に納入されていますので、展示を見るついでにどうぞ。)
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21歳くらいの、まだ何にも考えてないにも程があるぞ、と説教したくなるくらいに、ただただ惹かれたものに反応していたころの写真。でも、今とあまり好みが変わっていない…。まあ、この間、一貫しているっていう話をしたばかりだし。
もちろん、変わったところは、きっとあるだろう。でも、いろんな写真を見ていろんな影響を受けているはずなのに、変わらなかったところ、変わりようがなかったところ、こういうものの積み重ねが大切なんだろうな。
それで、リニア新幹線が中国山脈を突っ切って九州まで繋がると、もう少し頻繁に実家に帰れるんだけどねえ。2拠点生活をするほどマメなタイプではないんだけど、実家は守らないといけないし。広いアトリエもできるかもしれない。願望…!
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お正月は初詣に行かなかったので、今更ながらコロナの感染者が少ない今のうちにと夫と予定を合わせてお参りに行ってきた。
平日の増上寺は実にのんびりしていて、人も少なくて風が気持ち良かった。
古いお札やお守りを返して、新しいものを買ってきて、リビングの一番高い場所におく。
山の中で育つと、神様や仏様に纏わる行事がそれこそ山のようにあって、お寺さんや宮司さんも身近だった。小学生の頃は、年頃の女子たちが持ち回りで半年くらい宮司さんのお宅に通って、地域の祭りのために巫女さんの作法や舞を習ったりした。ちゃんとお小遣いがもらえるから、私も一つ年下の子と厳しい習わしを取得するために結構泣きながら頑張った。
拍子も巫女の舞も、今でも覚えている。こういうのって忘れないものだなあと思う。
今は子供が減ってだいぶ簡素化されているみたいだけど。
おみくじに入っていた福の神は、達磨。
七転八起。
しっかり試行錯誤しながら作品作りに精進しなさい。神様にそう言われている感じ。
忍耐、人望、福徳。
今日の写真は『4月25日橋-01』
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