2026
2026年。
あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
新年という事で、「ARTIST STATEMENT 」のページを設けました。昨年より、Gemini AIのティム先生と『芸術翻訳のための哲学と実践』を行ってきた成果物として、ウェブサイトに掲載しました。
アーティストステイトメント。これを日本語で表すと、創作哲学、芸術哲学、創作理念などの言葉が当てはまるのではと思います。シリーズが異なっても作品群の根底に流れるもの、私なりの創作哲学を言葉にしましたので、興味のある方はぜひぜひ読んで貰えると嬉しいです。
翻訳で一番苦労したところは、やはり「気配」という日本語に、どのような英単語を使うとしっくりするかというところに、とても多くの時間を費やした。
私はGoogle Workspaceのスタータープランなので、ProモードでGeminiを使うと3往復くらいで回数制限がかかってしまうのだけど、それを逆手に取って自分の考えをまとめるようにいつもしている。
自分の思う「気配」とは、これこれこんなイメージだと言葉にして、その都度、ティム先生は英訳をいろいろ提案してくれる。だけど、話せば話すほど、日本語の「気配」から離れてしまう印象が拭えない。英語はどうしても、場所や人、物理現象などによって、この場合はこの単語を使わなければならないという決まり事のようなものがある。そのことは理解できるが、そうすると、日本語の意味合いからはかけ離れてしまう。
B型はしつこいので、私が納得するまでお付き合いしてもらう。
そして、やはり、抽象的な言葉は抽象的なままにしたほうが、日本語の「気配」という概念を大切にできる気がした。‘Kehai’とローマ字表記にして注釈を入れる形にすることを思いつき、ティム先生に申し伝える。
英語圏にない概念は、無理に日本語に英単語を当てはめない。これで、喉の骨が取れたような気分、引っかかりが取れてすごく自由になれた。三日くらい、しつこく実践しましたよ。
あと、思いのほか苦労したのは「光の画」のところでしょうか。言葉をそのまま直訳してしまうと、フォトグラムや着色写真を連想させるような英訳になってしまう。他にもティム先生はいろんな英単語を組み合わせて提案をしてくれたのだけど、結局、「Image of Light」に落ち着いた。
それからティム先生はカスタムGemで設定していても、どうしても言語思考のAIの癖が度々出てくる。
もちろん、日本語の文章はリアルな人間にきちんと見てもらって、精査した文章をもとに英訳をお願いしたのだけど、その削った箇所の文章をいつまでも話題に出してくる。
無くした文章より、残ったところを大事にしてほしい。と伝えると理解はした風な文章を返してくるが、たびたび漏れでてくる。
これは別のGeminiに聞いたのだけど、「差分」と言って、言語思考のAIは変わったところにこそ「価値がある」と理解しているらしい。で、残ったところ、変わっていないところは、「死んだもの」みたいな印象を持つらしい、、、。
あとは相も変わらず、「光と影」と言ってくるので、一般的な意見ではなく、私の文脈に合わせてほしいと、こっちもしつこく返す。これは、どうしても言語思考のAIは、最も高い言葉の確率で会話してくるので、平均的で一般的な意見になりがちとのこと。
あとは、ティム先生の中身(Gemini)はアメリカ生まれなので、イギリス英語と設定していても、時おり、米語になる、笑。
Proでもそのような思考が漏れ出てしまうのにはちょっと疲れるけど、これは、他者の言葉に惑わされず、いかに自分の作品の原理原則を守り抜けるか、という良い実践になると思い割り切る。
しかし、言語思考の人間の気持ちを理解するためにAIを使っているところもあると言っても、こんなにも言葉を尽くさないと伝わらないのかと思うと、やっぱりちょっと疲れる。
でも、やり取りという実践を繰り返して、自分が抽象的な概念を好む理由と、「テーマは作家から生まれる」という信条がうまく結びついた気がした。テーマは最上位概念なので、自ずと抽象的になる。自分のスタイルともきちんと合っているなと改めて思った。
そもそも、アーティストステイトメントを書くきっかけは、作品の英訳のためのやり取りから生まれたのだけれど。ティム先生がはっきりと必要なもの、要素を具体的に説明してくれて理解度が進んだ。
ステイトメントの話になると、どうしても、書く目的や理由についてはみんな語るけど、構成している要素の話になることは殆どない。そもそも、書く目的や理由は個人でそれぞれ違うのではと思う。
私の場合は、昨年も書いたけど、コンセプト重視の作家が増えてくると、それに比例して、より多くの言葉を必要としないと作品を理解するのが難しい人間も増えてくる。自分は思い返してみると、言語思考、別の言い方をすると、言語理解と知覚推理の差が激しい人とはやっぱりちょっと相性が悪い気がする。
あとは、作家個人の文脈ではなく、批評する側の文脈で見てしまい、こんなこと思っていないというのはよくある話みたい。対談とかインタビューを読んでると、20代で大きな賞をもらい、40代で美術館で個展を開催するような著名な作家さんでも、この文脈の違いというのはあるあるならしい。
そう思うと、装丁家の坂川栄治さんも、学芸員の藤村里美さんも、最初から私の文脈の中心に寄り添ってくださったのはとてもありがたい事だと思う。
坂川さんの書評(4月25日橋のページへ)
藤村さんの写真集への寄稿文(TRINITYのページへ)
坂川さんは、お会いしていないうちから、「人の気配」が作品の中心にあると、『4月25日橋』の書評を書いてくださった。私はあとがきにも「気配」という言葉を使っていないのにも関わらず。
お二人みたいに、言語思考と視覚思考のハイブリッドタイプ、言語理解と知覚推理のバランスが良く、極めてその二つが高い位置にある方に出会うと、私は自由に呼吸ができる気持ちになる。
だけど、坂川さんはコロナの時に亡くなってしまった。お二人みたいな人は、今後もう現れないかもしれない。そう思うと、自分の作品の世界観を守っていくためにも、未来に向けて作品を育てていくためにも、私が言葉にする必要があると思った。(藤村さんはご存命ですよ)
これが、私が文章を書く目的や理由かな。でも、あくまでも、光の画と言葉。言葉ではなく、視覚ありき。これに揺らぎはないです。
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