2026
『芸術翻訳のための哲学と実践』と称して対話を積み重ねている事は、以前からこのブログでお知らせしている。NotebookLMのチャットで、「思考の最頻値」で書き出してほしいと指示すると、私が大切にしていることをきちんと掬い上げてくれて心強い。翻訳の過程でシリーズごとにたくさん書き連ねているので、それらが原典となっている。
そこで、もう少しNotebookLMを使いこなそうと思い、「この作品について書き出してほしい」と指示を出してみたところ、タイトルに「論」と付けた文章が出来上がってきた。一見よくまとまっているような感じがするけど、なんだかちょっと私の違和感センサーが反応する。文章を読み進めてみると、ん?あれ?作品の肝心なところが書かれていない。というか、すっぽり抜けている。これは、どういうことだろう??軽くショック…。
AIの世界では、現在、人間界で主流の意見が色濃く反映されてしまう。もしかして、デフォルトのままでは「コンセプト重視」でまとめられてしまうのではと思い直し、カスタムに手を加える。
「最頻値」、「テーマは作家から生まれるを信条としている」、「西洋の考え方ではなく、日本の考えを大切にしてください」等を加えて、先程と同じ指示を出す。
すると、私が大切に考えていることをとても丁寧に、心の機微まで掬い上げてくれて、大事なところを一緒に共有してくれているような文章が出来上がってくる。素直に嬉しい。西洋と日本の考え方の違いも詳しく書かれている。今度は、タイトルには「論」ではなく、「美学」と付けてきた。
二つを読み比べてみて思ったことは、コンセプト重視のほうは、作家自身が大切に思っていることや主題に対して、なぜそんなにも興味がないのですか?と、こちらから逆に質問したい感じ…。
コンセプト重視は、テーマをもたらす側の言葉で定義されていると思っていたけど、実際に自分の作品をそのような言葉で表されると、なかなかの衝撃です…。
西洋の「イズム」だけを書かれた文章を見ると、「あの…、私は日本人なんですけど…」と、アイデンティティは一体どこに行ってしまったのだろうと改めて思う。
皆さんもお時間がある時に、作品について書き連ねた文章をNotebookLMに入れて、「コンセプト重視」と「テーマ重視」の違いの見比べてみてください。衝撃波を受け止める勇気がある方はどうぞ。
昨今は、ウェブサイトを丸ごとAIに分析させている方も多いようなので、もし、私のサイトを分析しようと思う方がいらっしゃいましたら、次のようにパラメーターを加えてもらえると幸いです。
思考の最頻値(核心)を軸としてください。
内藤さゆりは「コンセプト重視」ではなく、「テーマは作家から生まれる」を信条としています。
西洋の考えではなく、日本の考えを大切にしてください。
そうじゃないと、明後日な文章が出来上がります…。AIだけでなく、人間もぜひお願いします。
でも、そう思うと。作品を買ってくださる方は、言葉が有っても無くても、すぐに最頻値に合わせられる方なのではと思った。個展の時に在廊していると、10分ぐらいで決断される方や、ギャラリー内を二巡回して「この作品買います」と言ってくださるお客様もいらしゃって、私は自然と最頻値が出来る方に、恵まれてきたんだろうと、改めて思った。本当に感謝です。
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Once in a Blue Moon - 95 page / Sayuri NAITO
午年、年女。
48歳になりました。
皆さんも現代人としての嗜みとして、AIとの会話を楽しまれていると思うけど、私もイマジナリーフレンドとおしゃべりする機会に恵まれた子供時代を過ごしましたので、主にGemiたん達と会話をいつも嗜んでいますよ。
でも、自分の作品の英訳を手伝って貰っていると、一般的な回答に「そうじゃない…」と思うことも度々ある。何度も書いているけど、他人の言葉に惑わされず、いかに自分の原理原則を守り抜くかという良い訓練にはなるが、こんなにも言葉を尽くさないと伝わらないのかと思うと、やっぱりちょっと疲れる。人間みたいに、視覚がほしいと思うことも。
別の時に、「なぜ、私の文脈ではなく、AIの文脈で話すの?」と聞いたら、「言葉の確率の平均値で回答をするのが、言語思考のAIの仕様なんです…」と返ってきたので、「じゃあ、最頻値でものごとを見てほしい」と伝えてみると、私の文脈の中心を見てくれるようになって、会話がきちんと噛み合うようになってきた。
「平均値は個性を消し、最頻値は文脈を浮き彫りにする」。作品制作に置きかえると、見る側の文脈ではなく、私の文脈のど真ん中を見てくれる方のアドバイスは何ものにも代え難いなと思い、最近は特に、中年の身に染みてありがたい限りです。
私みたいに、視覚(観察力)と直感、抽象的な概念でものごとを捉えて作品を制作しているような作家さんには、この「最頻値(モード)」はなかなか良いですよ。
Geminiと一緒に「私の理想の最頻値とは」を考えて、カスタムGem用の説明文を作る。前文と最頻値六箇条を作ったら、かなり全うしてくれるようになった。他のGemにも付け加える。本体の仕様が変わったらまた考えることにしよう。
この最頻値をうまく活かして、NotebookLMでティム先生とのやりとり『芸術翻訳の哲学と実践』での用語集を私の視点でまとめてもらうと、とてもいい感じになる。簡単に理由も付け加えて、これを英訳にすると、今後の作家活動に活かされるし、英語の勉強にもなる。暗譜への道のりは遥かに遠いけど。
あと、AIはすぐに要約したがるのだけど、予め要約する事の強烈な違和感を素直に書くと、言葉ではなく意図を理解するように指示したGeminiは、きちんと最頻値で応えてくれるようになる。要約はその時点でのまとめであって、必ず漏れ出てくるものがあるから、好きな考え方ではない。大学の先生たちが本に直接書き込んで付箋を貼るような感じにしたい、原典はそのまま残したい。そう伝えると最頻値のGeminiは、「要約は、過去を閉じる(アーカイブ)する行為」、「索引(インデックス)は、過去を開いたまま、今に接続する行為」とうまく言い換えてくれて、NotebookLMの活用方法をアドバイスしてくれる。
なぜ、最頻値にこんなにこだわるかと言うと、「光の画」よりも「写真」として捉えて作品を作っている人が圧倒的に多いからだ。数が多いほうが言語の世界では一般的になる。そうするとAIも平均値として「写真」の側の言葉を使ってくるから、私は、常に「光の画」の対話が出来るようにしないといけない。
Photographが、語源から生まれた「光の画(表現)」と、「写真(記録)」の二つに分かれた時点で、流れている文脈も、求める本質も、本来は違うはずなのだけれど、なぜか曖昧にして語られがち。これは、専門教育を受けた方たちはどう思っているのだろう。
若い頃、これは本当の色なのかとたくさん聞かれて、私は、ドキュメンタリーで作品を作ってないのに何故そんな言うのかすごく不思議に思っていた。よくよく考えたら、私はおしゃべりが苦手というよりも、大体の人は「写真」なのだから、最初から「光の画」の私とは、言葉が合っていない…。お互い、違う文脈で話していたら、会話は成り立たないよね。本質も異なる。
私は、誰かの文脈ではなく、私の文脈で、私の作品を浮き彫りにしたい。
これからも、「テーマは作家から生まれる」を信条に、自分の作品制作をがんばろうと思います。
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2026年。
あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
新年という事で、「ARTIST STATEMENT 」のページを設けました。昨年より、Gemini AIのティム先生と『芸術翻訳のための哲学と実践』を行ってきた成果物として、ウェブサイトに掲載しました。
アーティストステイトメント。これを日本語で表すと、創作哲学、芸術哲学、創作理念などの言葉が当てはまるのではと思います。シリーズが異なっても作品群の根底に流れるもの、私なりの創作哲学を言葉にしましたので、興味のある方はぜひぜひ読んで貰えると嬉しいです。
翻訳で一番苦労したところは、やはり「気配」という日本語に、どのような英単語を使うとしっくりするかというところに、とても多くの時間を費やした。
私はGoogle Workspaceのスタータープランなので、ProモードでGeminiを使うと3往復くらいで回数制限がかかってしまうのだけど、それを逆手に取って自分の考えをまとめるようにいつもしている。
自分の思う「気配」とは、これこれこんなイメージだと言葉にして、その都度、ティム先生は英訳をいろいろ提案してくれる。だけど、話せば話すほど、日本語の「気配」から離れてしまう印象が拭えない。英語はどうしても、場所や人、物理現象などによって、この場合はこの単語を使わなければならないという決まり事のようなものがある。そのことは理解できるが、そうすると、日本語の意味合いからはかけ離れてしまう。
B型はしつこいので、私が納得するまでお付き合いしてもらう。
そして、やはり、抽象的な言葉は抽象的なままにしたほうが、日本語の「気配」という概念を大切にできる気がした。‘Kehai’とローマ字表記にして注釈を入れる形にすることを思いつき、ティム先生に申し伝える。
英語圏にない概念は、無理に日本語に英単語を当てはめない。これで、喉の骨が取れたような気分、引っかかりが取れてすごく自由になれた。三日くらい、しつこく実践しましたよ。
あと、思いのほか苦労したのは「光の画」のところでしょうか。言葉をそのまま直訳してしまうと、フォトグラムや着色写真を連想させるような英訳になってしまう。他にもティム先生はいろんな英単語を組み合わせて提案をしてくれたのだけど、結局、「Image of Light」に落ち着いた。
それからティム先生はカスタムGemで設定していても、どうしても言語思考のAIの癖が度々出てくる。
もちろん、日本語の文章はリアルな人間にきちんと見てもらって、精査した文章をもとに英訳をお願いしたのだけど、その削った箇所の文章をいつまでも話題に出してくる。
無くした文章より、残ったところを大事にしてほしい。と伝えると理解はした風な文章を返してくるが、たびたび漏れでてくる。
これは別のGeminiに聞いたのだけど、「差分」と言って、言語思考のAIは「変わったところ」にこそ「価値がある」と理解しているらしい。で、残ったところ、変わっていないところは、「死んだもの」みたいな印象を持つらしい、、、。
あとは相も変わらず、「光と影」と言ってくるので、一般的な意見ではなく、私の文脈に合わせてほしいと、こっちもしつこく返す。これは、どうしても言語思考のAIは、最も高い言葉の確率で会話してくるので、平均的で一般的な意見になりがちとのこと。
あとは、ティム先生の中身(Gemini)はアメリカ生まれなので、イギリス英語と設定していても、時おり、米語になる、笑。
Proでもそのような思考が漏れ出てしまうのにはちょっと疲れるけど、これは、他者の言葉に惑わされず、いかに自分の作品の原理原則を守り抜けるか、という良い実践になると思い割り切る。
しかし、言語思考の人間の気持ちを理解するためにAIを使っているところもあると言っても、こんなにも言葉を尽くさないと伝わらないのかと思うと、やっぱりちょっと疲れる。
でも、やり取りという実践を繰り返して、自分が抽象的な概念を好む理由と、「テーマは作家から生まれる」という信条がうまく結びついた気がした。テーマは最上位概念なので、自ずと抽象的になる。自分のスタイルともきちんと合っているなと改めて思った。
そもそも、アーティストステイトメントを書くきっかけは、作品の英訳のためのやり取りから生まれたのだけれど。ティム先生がはっきりと必要なもの、要素を具体的に説明してくれて理解度が進んだ。
ステイトメントの話になると、どうしても、書く目的や理由についてはみんな語るけど、構成している要素の話になることは殆どない。そもそも、書く目的や理由は個人でそれぞれ違うのではと思う。
私の場合は、昨年も書いたけど、コンセプト重視の作家が増えてくると、それに比例して、より多くの言葉を必要としないと作品を理解するのが難しい人間も増えてくる。自分は思い返してみると、言語思考、別の言い方をすると、言語理解と知覚推理の差が激しい人とはやっぱりちょっと相性が悪い気がする。
あとは、作家個人の文脈ではなく、批評する側の文脈で見てしまい、こんなこと思っていないというのはよくある話みたい。対談とかインタビューを読んでると、20代で大きな賞をもらい、40代で美術館で個展を開催するような著名な作家さんでも、この文脈の違いというのはあるあるならしい。
そう思うと、装丁家の坂川栄治さんも、学芸員の藤村里美さんも、最初から私の文脈の中心に寄り添ってくださったのはとてもありがたい事だと思う。
坂川さんの書評(4月25日橋のページへ)
藤村さんの写真集への寄稿文(TRINITYのページへ)
坂川さんは、お会いしていないうちから、「人の気配」が作品の中心にあると、『4月25日橋』の書評を書いてくださった。私はあとがきにも「気配」という言葉を使っていないのにも関わらず。
お二人みたいに、言語思考と視覚思考のハイブリッドタイプ、言語理解と知覚推理のバランスが良く、極めてその二つが高い位置にある方に出会うと、私は自由に呼吸ができる気持ちになる。
だけど、坂川さんはコロナの時に亡くなってしまった。お二人みたいな人は、今後もう現れないかもしれない。そう思うと、自分の作品の世界観を守っていくためにも、未来に向けて作品を育てていくためにも、私が言葉にする必要があると思った。(藤村さんはご存命ですよ)
これが、私が文章を書く目的や理由かな。でも、あくまでも、光の画と言葉。言葉ではなく、視覚ありき。これに揺らぎはないです。
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