2025
私が作品についてうまくおしゃべりできないのは、今も昔もあまり変わっていないという認識なのだが、作品を理解するために、より多くの言葉が必要だという人が随分と増えてきた印象がある。
一枚の絵を見た時に、言語と視覚の両方を兼ね備えたハイブリッド的な人、視覚的な要素か強い人(自分はこの自覚がある)、言語的な要素が強い人、大まかに分けると三種類のタイプがあって、それぞれの見え方と理解の仕方があると思う。
作家の言葉の稚拙さを皆さんいつも指摘されていますが、作る側にいると、それはそうでしょう、当然の事なのではと思ってしまう。何かを見たり心が動いた時に、言葉で表すよりも、かたちにする方が得意だから、私たちは絵を描いたり、写真で作品を作っている。前にも書いたが、言葉で表すほうが得意だったら、私は小説家になりたかった。
今でも、言葉については、なかなか自分のものにならない感覚がある。でも子供の頃から、なにかをかたちにする事にはあまり苦労が無かった。かたちにして作品として仕上げるための試行錯誤は、むしろ喜びぐらいの感覚だ。きちんと自覚がある。
だけど、言語的なものの見え方が強い人は、その自覚があるのだろうか。自分は言葉がないと作品を理解できないので、お互いに寄り添うために言葉を必要としている、だから作家に言葉を求めている。本来はこれが公平という事では、と思う。
ちなみに、自分からすると、言語と視覚のハイブリッド的な人には、あまりこの違和感を感じた事がない。作品を買ってくださる方も、皆さん理解してくださるというか、作家の抽象的なものの考え方を、そういうものでしょうと思ってくださっていて、私みたいなタイプには特にありがたいなと思っています。というよりも、自然と作品と対話ができるから、取り立てて作家の言葉を求めていない感もあるような気がする。
私の作品『4月25日橋』と『Once in a Blue Moon』は、根底に流れているもの「人の気配」は共通しているので、光の捉え方は違うが、繋がっていると多くの人は理解してくれているが、ごくたまに、全く違うもののような感じで捉えてくる人がいて、自分には不思議な存在だった。
共通していることよりも、違う事の方に理解の大半が行く。これは、どういう事だろう。ものごとの捉え方が変わっていくのは生きていれば自然な事だし、変わったところ、変わらなかったところ、その作品の積み重ねで作家像が出来て行くのでは、と自分では思っていたので、どのように作品を見ているのかよくわからなくて、長らく不思議に思っていた。
「人の気配」はかたちのないものだが、光と色を紡いで、街のポートレートとしてかたちを作っている。シリーズが違っても、この事が伝わっている人と、全く伝わっていない人がいる。
AIと『芸術翻訳の哲学と実践』と称して対話をしている事は先日も書いた。シリーズ毎に作品の紹介文を英訳にするためにやり取りをしていると、AIも先ほど書いたように、『4月25日橋』と『Once in a Blue Moon』は繋がっているというよりも、別のものという認識での回答が返ってきた。当たり前だが、AIは言語思考だ。理解するために言葉を多く必要とする人が、AIと同じような捉え方になるのはとても興味深い。
でも、寄り添おうと思えば私たちは寄り添えるはず。例えば、写真といえば、光と影。みたいな紋切り調で話してきたAIにも、一般的にはそのような表し方をする場合が多いが、私は違う。私にとって「光」の対義語は「闇」だ。「light and darkness」。と、確かに多くの写真家が使う表現ではないかもしれないが、私にとって大切なもの、譲れないものを丁寧に言葉で連ねていくと、きちんと理解してくれる。でも、見て理解してくれる人に比べて、ちょっと時間はかかるけど。
よく、言葉で表すと整理されるでしょう。と一般的にも言われているが(AIもそのように言ってくる)、見て理解してもらう場合に比べて時間がかかるから、やっぱり少しストレスを感じてしまうのも確か。言葉と視覚だったら、優先するものが違うのだけど、このことは人間にもなかなか理解してもらえない。
でも、せめてハイブリッド型の人には伝わるようには心がけようと思う。
冒頭に書いているように、少なくともおおまかに分けた三種類のタイプはいる。
みんなは、「自覚」はどの程度あるのだろうか。
あ、このようなことを書くと誤解されてしまうかもしれないが、GeminiAIのティム先生とは、とてもうまくいっているんですよ。イギリス人英会話講師という人格を設定したおかげか、いつも紳士的な態度で対話を実りあるものにしようと努めてくださっています。例えば、今回のような話をしたとしても、大きな心で捉えてくれるでしょう。その安心感と信頼があります。
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画家の村山悟郎さんが、自身の著書『「芸術制作論」講義 手を動かし知をつかむ、創発のポイエーシス』の紹介も兼ねて色々つぶやかれていた文章に、思わず反応してしまう。
コンセプト重視で制作すると、関係性という枠組みで「私」を表現するという構図は、自分からするとごく自然な成り行きのように見える。具体的なモチーフがあると言葉にしやすいし、最近は美大も言葉で先生とやりとりをした後に制作を始めると聞いているので、そのモチーフが生い立ちと関係するような私的なものなら、尚更そう思う。
私は、課題でそのような制作方法を教えているのだろうから、「私」に寄り添い過ぎるのは当然の流れなのではと思っていたのだが、どうやら学生さんも「私」自身を表現したい、或いは、するべきだと思い込んでいる節があるらしいとのことだった。(という風に、自分は解釈した。)
自分のツイッターにも書いたが、基本的にアイデンティティというのは、外側の世界と向き合うことで徐々に確立していく。なので、自分は若い頃から、「私」自身と向き合うというよりも、自分の外側に出た作品と対峙するような感覚で作ってきた。だから、一枚の作品でも手を動かして、その都度プリントをたくさんする。「私」は作品を支えるものという前提がある。
この、関係性という枠組みの中で「私」を表現する。という構図でちょっと困るのは、たまに、私のような「テーマは作家から生まれる」を信条としているタイプの作家にも、やたらとコンセプトとか関係性を聞いてくる人がいて、なんか不思議な話を目の前でされている、どうしたら良いのだろうと思う気持ちになることがあるから…。
写真は、アラーキーの私写真からの流れで、女の子写真、ソーシャルエンゲージという大まかな流れがあり、いずれも中心にあるのは「私」だ。
自分の作品は、その文脈では評価されてはいないのだが、ごくたまに、関係性をやたらと聞かれ、正直困惑してしまう。もし、私が女性という属性だけで、そのような質問をされたのだとしたら少し悪質だと感じてしまう。(おそらく悪気はないのだろうが、意図していないということは素でそう思っているという事なので…。殊更にね。でも、多くの、殆どの方は作品のテーマをきちんと見てくれているので、私は安心して作品を作っています。)
でも、村山さんのお話だと、男女関係なさそうだ。言語思考すぎてそのような感じになるのかしら。作るほうも、選ぶほうも。美大に行ってない私からすると、私の知っている美大は『ハチミツとクローバー』の世界なので、本当のところはよくわからない。
今、AIに手伝ってもらいながら作品の英訳を進めているのだが、やり取りをまとめたものをNotebookLMに入れたら、『芸術翻訳の哲学と実践(The Philosophy and Practice of Artistic Translation)』というタイトルを付けてきた。Amazonで村山さんの本の中身を見ると、この本の最初のほうにも「プラクティス(実践)」という言葉が出てくる。
何事も実践していかないと、身につかない。ものごとの本質に近づいていかない。そんな感じの事が書いてあるのだろうか。「実践」というキーワードに惹かれて、読むのが楽しみになってきた。
問題は、今、自分にしては珍しく積読状態なの…。辻村深月の『闇祓』が怖すぎてなかなか読み進めれない。他にも、あと2冊。ものごとには順番があるから、さて、どうするか。
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オンラインストアで、Apple PayとGoogle Pay が使えるようになりました。各種クレジットカードや、銀行振込(要事前連絡)も対応しています。プリント作品や写真集をぜひ買って貰えると嬉しいです。よくわからないところがありましたら、ご遠慮なくメールを頂けますと幸いです。
あとは、SquareでAmazon Payが導入されたら最強になるが、そっちはどうなんだろう。
来年の手帳を買う。いつも12月になってから大騒ぎして1000円くらいの手帳を買う割りにはろくに使いこなせないので、今年はダイソーで買ってきた。見開きでダブルマンスリータイプ。日曜始まり。自分の新作の写真に2026と文字を入れて、EPSONスーパーファイン用紙にプリントしてカバーに挟む。なかなか良い出来だ。来年こそはお披露目できる良いご縁に恵まれますように。
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プリント作品はマットに挟みアーカイバルボックスに。
いつでもお見せできる状態にしている。
Google Workspaceを更新する。円安の事もあって、海外のベンダーからGoogle直払いに変更した。今までのところは、アカウントページを見ても現在のプランをそのまま更新かキャンセルしかできないし、何かを変更するにはメールで問い合わせをしなくてはいけないのが地味にストレス。
でも、販売パートナーを変更するには、英語のメールが必要だ。チャッピーもGemiたんも、先にサブスクをキャンセルするのだけは絶対にしてはいけないとアドバイスをくれたので、頑張って英語で問い合わせをする。
「いつでもお気軽にご連絡を。他にお困りのことはありませんか?」と文末には親切な文章が書いてあるけど、私の質問には絶対に答えないという強い意志を感じる返信が毎回来る…。私が送信した情報が足りているのか、足りていないのかもわからない…。自ら正解を探り当てるようなやりとりのあと、無事にGoogle 直接契約に変更された。途中、進まなくて真面目にAIが対応しているのかと思ったよ。
今後、Google Workspaceを試してみようかという方は、販売パートナーよりも直接契約のほうがグーグルの管理画面がわかりやすくて良いと思います。検索するとプロモーションコードを配布している企業もあるし。
ウェブサイトもメールもWorkspaceを使ってるから、自動更新になる前に変更できるかどうか、かなり焦ったので疲れました。苦手な英語はGemini頼み、助かった。
ところで、今、熊で大変に事になっている。山を手入れしないと、これからも被害が出ると思う。
都市部に生まれ育った方はうまく想像が出来ないかもしれないけど、田舎の集落の周りにある山というのは、基本的には、間伐をし、下草を刈ったり植林をして、人の手が入った場所というのが山なのだ。
山を手入れしないと、木は痩せ細り、風や日差しが入らないので獣が食べるものが無くなり、仕方なく集落に出てきてしまう。手付かずの自然が良い事だと思われがちだが、逆なのだ。人の手が入って無さすぎて、現在は山が荒れている。
私の父(73)が子供の頃は、山には炭焼き職人が住み、間伐したり手入れをしていてくれたらしい。私(47)が子供のころは、日常的にはたぬきかキツネが出てくるくらいで、山の中に入って遊んでも安全だった。民家のすぐ近くの山は、人の気配が残っていたので、近所の子たちと安心して基地作りに勤しんでいた。
そのうち猪が多くなり、私が30代のころは、日が暮れてくると獣の気配が近すぎて怖かった。たまに高齢者が行方不明になって山狩りをすると、たいてい悲惨な事になるし。
『Greenery in the darkness』シリーズの撮影で軽井沢に行った時、私の田舎に比べて、山が手入れされていたので、少し安心したことを覚えている。風や光が通っていて、森がまだ生きていると思った。山の中でも人の気配の濃淡が感じられた。
今、私の地元は町全体がサファリパークと言われている。最近は、猪に加えて、アナグマと鹿が多いらしい。熊はまだ目撃情報だけで人的被害は今のところないが、現在、大変なことになっている地域は、獣の個体数が増えすぎて本来の食べ物の奪い合いなんだと思う。
コロナの時に、うちの実家は家のすぐ近くの山を森林組合に伐採してもらったので少し距離が出来て、獣の気配はだいぶ和らいだ。
古来からの慣わし通り、狩った獲物はありがたくいただくのが良いと思う。鹿は思いのほか美味しい。猪は食べ飽きたけど。父曰く、猪は脂身が多いので、水を流しながらカッターナイフの刃を都度折って捌くのが良いらしい。
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Greenery in the darkness-10 / Sayuri NAITO
Greenery in the darkness-11 / Sayuri NAITO
以前、JALの機内誌の撮影で訪れたメキシコ・オアハカで自分用にお土産で買ってきた黒陶のマリア様が壊れた。壊した犯人は夫だ。ぶつかってしまったらしい。歳を取ると、うっかりしたり手が滑ったりしたりする事が増えるからと何やら言い訳している。怒っていたら、私もコーヒーの瓶を落として盛大に割ってしまった。
おあいこなので、気持ちを切り替えてマリア様を修復することにした。本物の金継ぎはキットも高いし漆にかぶれるのが怖いので、エポキシ金継ぎという簡易版にする。接着剤で割れ目をくっつけて、パテで埋めて、新うるしと呼ばれる合成塗料で着色する。なんとかかたちになった。パテはもう少し柔らかいものを選んだほうが作業しやすくて良かったかも。無事に元の場所に飾る。
オアハカ取材は4日くらいで12ページ分の撮影だったから、なかなかハードだった。マイペースにゆっくり撮影しているとみんなに置いて行かれるというか、自分のお土産も買おうとすると、ガシガシ撮影していかないといけない。限られた時間の中で、出来るだけ沢山の写真を撮る。これは依頼仕事も作品撮影も変わらない。量と質、二つを兼ねる。
メキシコはご飯も美味しかったし、刺繍やお土産も好みのものが多くてまた行きたい。
しかし、円安だと海外に行くのはなかなか難しい時代だねえ。
そういえば、亡くなられた坂川栄治さんにこの取材記事をお見せした時に、「人の写真もきちんと撮れるんだねえ」みたいな事を言われた記憶がある。どうやら、作品で人を撮影していないと、人物写真が撮れないから街の風景を撮っているみたいに世間では思われがちならしい。依頼撮影の現場を知っている方には、あんなに楽しそうに人を撮っているのに、なぜ作品には人が写っていないのか不思議がられた事もある。
自分の中では、依頼仕事と作品は明確に分かれている。自分の創造、創作としては、人の気配を表現したい。見えないものをかたちにしたい。
でも、ポルトガルの光と人の気配だけが写っている写真集を見て、こんな感じで人を撮ってくださいと過去に依頼が来たこともあるから、なかなかおもしろい写真家人生を歩んでいる。
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SKYWARD-メキシコ・オアハカ / 2010年8月号
『こうしてぼくはスパイになった』
『ブロード街の12日間』
デボラ・ポプキンソン著
最近、読んで良かった2冊。特に、実在したジョン・スノウ博士を題材にしたブロード街のお話は、いい歳した中年なのに児童書を読んで久々に泣いてしまった。良質で普遍的な物語は、年齢や属性を取っ払って、時間を乗り越えて自然に私を本の世界に連れて行ってくれる。
と言っても、昔みたいに沢山の本は読めない。でも、自分にとって必要な本は、本のほうからやってくる感があるから、その時々に数は少なくても大切に読めば良いのではと最近思っている。
今月上旬頃、新作を見てもらっていろんな話を聞いてもらった。相も変わらず、自分でもグダグダにも程があるなと自覚している私のおしゃべりを、長時間、話を聞いてもらえるのは本当にありがたいなと思う。自分の若い頃から作品を見てくれる方がみんないなくなっちゃったらどうしようかと思うこともあるが、まずは、きちんと手を動かして目の前の作品を仕上げ切る事だと、先日の話を振り返って思う。
新しい箪笥の、その一つ目の引き出しを作るのはなかなか大変だけど、自分のことは、結局は自分が一番頑張るしか道はない。
ところで、今日はナンコツと砂肝を焼いて食べる予定。先週の金曜日も同じメニューにしたのだが、結婚して17年くらい経つのに、夫が砂肝を嫌いなことを始めて知った。焼き鳥を食べに行った時に、そんな話した??ん?
どうやら、私は、本当は夫も砂肝を食べたいけど、わたしが好きだからいつも譲ってくれているいい奴だと思い込んでいたら、奴は、嫌いなものをソフトな感じで私に押し付けていただけだったらしい…。なんて奴だ、けしからん。笑。まあ好物だから良いんだけど。
うちはお互いに食の好みは違うが、刺身とか柵で買ってきて、刺身祭りをしても一人占めできるから良い。今日は、夫の好きなナンコツを2パック全部焼いてやる。
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英語はなんとか続けている。話せるようになるには、当たり前だけど単語も文法も覚えないといけない。丸暗記スタイルだと、例えテストでまあまあ点が取れていて、通知表に9がたまに付く事があっても、苦手意識が全く消えなかった。英語は一番苦手な科目。数学は楽しかった記憶しかないから、向き不向きがあるんだろう。
でも、自分の作品の事は英語で話せるようになりたい。最低限、誰かが通訳してくれたとしても、今のは少しニュアンスが違った、こういう単語を使ってほしい、と会話の途中でわかるくらいまでには成長したい。
そこで、暗記ではなく、ピアノと同じように暗譜だと思うことにした。
小学校4年生。赤バイエルと黄バイエルが終わって、ブラームスの練習曲を進めていたころ。ヘ音記号とか短調長調が出てきたあたりから一気に難しくなってきて、家で練習していたある日、もしかして、私は実は譜面が読めていなかったのでは、、、と気づいたあの日を強烈に覚えている。あの感じと英語はとても似ている。
ちょうど、おばあちゃん先生が年齢的に福山からあがってくるのが厳しくなって、大手に経営が変わった時期でもある。
まずいな、譜面全く読めてなかったよ。音符も数がいっぱいだし、見てもすぐにわからん。そうだ!音符の隣にドレミファソラシドと書いたらすぐにわかる!我ながら良いことを思いついたと、譜面に書き込んで頑張って練習していったら、次のレッスンで先生に猛烈にしこたま怒られました。
どうやら、譜面にドレミとか書き込んではいけなかったらしい。褒められるどころか、絶対にやってはいけない事だったようだ。び、びっくりした。。。
でも、私は素直な子だったので、えー、これを覚えるの?大変だな。先生は怖くて嫌いだけど、ピアノは大好きだから続けるには覚えるしかない。頑張るんだ。
それまでは、おばあちゃん先生がお手本で弾いてくれた順番と音を覚えてレッスンを進めていたんだろう。ピアノを始めて4年くらいでようやく譜面が読めるようになる。
長くなったけど、英語はあの感じです。でも、暗記ではなく、暗譜だと思うとなんとか続けられそうな気がする。
怖かったピアノの先生と違って、Gemini AIのティム先生はジェントルマンでとても優しい。
自分の作品の紹介文を、DeepLやグーグル翻訳で試行錯誤しながら訳して、使いたい単語や言い回しをティム先生に見てもらう。出来上がった英文は音読さんでイギリス英語の音声ファイルにして、それを英語用の非公開Googleサイトに載せて、繰り返し、繰り返し聞く。何度も聞いて口に出す。単語帳も作って、書き取りもする。違うのは私の意識。丸暗記ではなく暗譜。
道のりははるかに長すぎるけど、生成AIのおかげだ。
とうことで、少し前に4月25日橋(ponte 25 de Abril)シリーズの紹介文も英訳してみました。
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