# 光の画
光について、あの時、なんて書いたのだろう。と、たまに見返すと面白い。
・言葉から始まるのか、光から始まるのか。
・自分にとって、写真とは?を考えることはないけど、光と闇をどう表現するかはいつも考えている。
・先日読んだ本に出てきた、福原信三さんが作られた『寫眞藝術』の実物を一度見てみたい。印刷はどんな感じなんだろう。光はどんな風に捉えたんだろう。ほぼ100年前!の写真誌を見てみたい。
Photographは「光の画」なので、はじめに言葉あれではなく、「光あれ」だと私は思いたい。
『神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光をみて、良しとされた。神はその光と闇とを分けられた。』
全ては光から始まるんだ。
『光と闇の間にある、幸せ』、オンラインストアのNEWS & STORY。
森山大道さんのような、写真の生き神様のような方でも、「写真とは?」と考えすぎて撮れなくなったらしい。だから私は、変わったところ、変わらなかったところ、作品の積み重ねで最期にわかればよいと思っている。
『寫眞藝術』の話は、どの本に書いてあったんだろうか、、。2020年8月のメモに記しているのはわかるが。東京都写真美術館の図書館にはきっとあるだろう。一度見てみたい。
『光の画』について、2019年にも記事を書いていた。ぐるぐると螺旋階段をのぼっていく感じ。
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PHOTOGRAPHを、『光の画』と捉えるか『写真』と捉えるか。どちらを選ぶかで、撮影もプリントも全ての向き合い方が変わってくる。
技法は表現したい事を支えるもの。誰かの言葉は誰かのものであって、違って当然。だからこそ個性が生まれる。
そんな風に思いながら日々、作品を作っています。
私は最初から『光の画』の方でした。でも上手く言葉の整理が出来てなくて、「実際の色なんですか」と聞かれる度に、(この人は何を言ってるんだろう…?)とずっと不思議だった。
30代半ばぐらいまでそう思っていたから、ね。
写真集『TRINITY』の後書きを寄稿して貰ってようやく頭の中が整理できた。
撮影する時に光をコントロールし、プリントする時に色彩を選び、光で風景を描くように私は作品を制作しています。
写真と言えば、どうしても広告やスポーツ、ドキュメンタリーなどに注目が集まりがちですが、『PHOTOGRAPH=光の画』の存在が少しでも世の中に知って貰えると幸せです。