2026
「ステートメント」という言葉が写真業界にも入ってきて20年ぐらいになるけど、未だに、具体的にこの形式で書いてほしいと募集要項などにはあまり書かれていない気がする。故に、よく誤解が生じている。
何でだろう、ずっと不思議だなと思っていたけど。カメラメーカーなど一部上場企業のメセナ活動の場合、文章の形式を指定することは、表現の自由に触れる恐れがあるから、暗黙知というか、忖度してほしいみたいな感じになるのではと思った。
確かに学芸員にも作品についての文章をきちんと書いた方がよいと言われるが、形式についてはみんな驚くほど言わない。何となくだけど、私以上に口下手な作家がいた場合、形式を指定し過ぎると、下手したら作家の言葉を制限したり、奪ってしまうことに繋がる気がする。そう思うとちょっと怖いな…。
メーカーの公募は展示とセットの場合が多いので、実際の展覧会を想定して会場に貼る予定の文章を「ステートメント(この記事内での鍵括弧付きの言葉の意味を、いろいろな言語表現の手法があることを含めた上で忖度してくれると助かります)」として提出する方がいても不思議ではない気がする。
もっと具体的な「日本語」にして、「会場に貼る文章とは別に、審査員用のために作品全体の解説文章を書いてください」みたいな要項にすると建設的だし、法務部辺りがすっ飛ん来るみたいな感じにはならないような気がするけど、どうだろう。長くなるけど。
美大や写真の専門学校で、「ステートメント」という専門的な教育を受けた方は良いけど、カメラメーカーの公募はそういう方だけを対象としているわけではない。ノミネート式の賞とは違うので、広く自由で開かれた場であってほしい。公平に。
「ステートメント」、「コンセプト」、「アイデンティティ」。この3つは、ちょっと(いや、だいぶ)便利な言葉だなといつも思ってる。そんな印象。でも、誤解も生みやすいので、出来る限り分かりやすい日本語に変換することを心掛けて行こうと思った。
みんな「現代国語」と「国語表現」、どっちが得意だったのかな。作家側も、選ぶ側も。あと読書傾向。この辺りを誰か論文にまとめてくれると、現代の作家を取り巻く環境を俯瞰するよい材料になる気がする。
しまけんは、どっちかな?
言語理解とは、どういうことなのか。問いたいし、自分も深めていきたい。
TAG:
2021年くらいから、縦めくりのリング方眼ノートを使ってきたのだけれど、気軽に何でも書けるダイソー製が無くなってからはノート難民。短辺にリングが付いていると手に当たらなくてとっても便利でお気に入りポイント。
だけど、そこにこだわると代替品がライフとかちょっと高級なノートになる。めくった時に見やすさと裏写りを考えて片面しか使わないので、余計に少し勿体無く感じる。
そうすると、あまりメモを取らなくなる。本当に必要な事だけしか書かなくなって、後から見直した時に紙面がつまらない…。もっと自由に気軽に書きたいのに。たくさん書かないと気がすまない時に躊躇してしまう。
お店やネットでたくさん見繕って、ようやくマルマンの方眼リングノート(ベーシック)を買ってみた。ミシン目があるところは気に入らないのだけど、つるつる&さらさらした紙で書きやすいし、80枚なので無駄遣いしても気にならない。値段も手頃だし。
アクリルインクや墨で書くと乾燥した後にパリパリするのも楽しい。片面しか使わないと決めているので、追記したい時はマスキングテープで他のルーズリーフやメモを貼って蛇腹状にする。もはや縦捲りはどうでも良くなってきて、しっくりくる自分だけの自由帳が出来てきた。
写真をプリントしている紙はいつもハーネミューレで、そこに対して高いなと躊躇してしまう気持ちは初めから無い。だけど、その他になると途端に躊躇してしまう自分がいるのを振り返って、以前ワークショップをした時に、Lサイズでプリントしてきた参加者の気持ちが少し納得できた。
A4以下で展示することなどほぼないのに、誰がこんな小さなサイズで薦めたのと訝しんでいたのだけど、なるほどと理解できるようになってきた。自分もアルシュ(フランスの最高級水彩画用紙)とか持っているけど、大きいサイズの紙とか封を開けるのももったいなくて後生大事に保管している。
確かに慣れとかもあるのかもしれないけど、ハードルを簡単に飛び越えられるものと、すごく勇気のいるものがあるという気持ちがわかるようになってきた。
でも、セレクト中からハーネミューレでプリントしてるわけではないですよ。光沢にするのかマットにするのか撮影前にイメージを固めて、撮影後はエプソンの50枚入りとか100枚入りの大容量パックを利用してシリーズ全体のトーンを合わせた後に、ハーネミューレでプリントしている。いつも、見本帳で予めイメージを頭の中で膨らましている。
TAG:
傾斜台に乗せた時に書きやすいA5サイズが好み。方眼か、さらに自由帳っぽくするために無地にするかを悩むのが楽しい。
ハーネミューレの見本帳。Fine Art Pearlは『Greenery in the darkness』シリーズで使用。撮影前にこの紙にプリントしようと決めて臨んだ。質感しか見ていないので、作例が人物でも全く気にならない。
自然豊かな高原地で育ったので、この暑さには辟易。先週はいくら水(ルイボスティーも)を飲んでも喉が渇いて仕方がなかったけど、カルピスを飲むようになったら少しはマシになってきた。塩タブレットは舐めてたけど、糖分も必要だったか。
スポーツドリンクを自作すると、砂糖と塩にクエン酸が必要だから、糖分も取らないと水分が維持できない。
出かける時には必ず水筒を持って行くけど、ぜんぜん足りない。電車に乗ってどこかに行く時は、結局2本くらい飲みものを買ってる。スポーツドリンクもたまには必要だけど、ペットボトルのジャスミンティーを買うといつも涼しい気分になることを思い出した。なんだろう。すっきりするから?
先日、若い頃から作家活動を応援してくださっている方に久々にお会いして、新作を見てもらった。プリントを見て、ここまで詰めるのは大変だったでしょうと完成度を褒められて単純に嬉しい。あと、初めて見てもらう作品だと、質問が新鮮で楽しい。技術的なことも含めて、思いもよらない質問が逆に自分の作品を振り返るきっかけにもなる。
「言葉がないと作品が見られない人がほとんどだから。そういうものだと思ったほうがよいよ」みたいな話にもなった。無くても大丈夫な人は、なにも無くても感想を言ってくれたり作品を買ってくれたりする。そういう人ばかりだと有難いけど、なかなかそうはいかない。
でも、もうステイトメントは出来ている。そしたら、あのギャラリーはどう?という話になった。勇気を出して、まずはメールを書いてみるか。
ティム先生と英訳文も再度修正したし。
TAG:
日本の映画のポスターは、ごちゃごちゃしている、余白が無いと話題になっていたが、単純に知覚推理が苦手な人が増えているのだと思う。それか、決定権のある人が苦手か。
言葉にするのが得意ではない人は自覚があるけど、知覚推理が苦手な人は自覚があるのかどうか、私にはよくわからない。なんとなく無いような気がしている。私は自身は、詩的な文章が好きだから、作品の説明も枕詞のように言葉にも余白を持たせている。
今、小学校の図工の時間も「めあて」と称して、始める前に文章を書かせているらしいが、なんだか最初からAIみたいな人間を育てているように思えてしまう。
図画工作でさえ、「文章を書く」に全振りしている教育のようだから、なにかのかたち(イメージ)から連想したりする子にとってはなかなか厳しい授業だと思う。
教える側や見る側が知覚推理が苦手だから、知覚推理が得意な人間にも、予め文章を求めている。それぞれ得意な能力があるのだけど、逆側はなぜかスルーされがち。
人間はAIじゃないよ。
知覚推理が苦手な人は、算数も苦手と言われているようだけど、確かに言語思考のAIは算数が出来ていない。というか、数字があってもそれが順番を表しているとは理解していないようで、全てが並列だ。ファイルに数字があっても、日付やナンバーで順序があるとは理解できず、ただの文字列ならしい。本当に国語だけで回している。AIが回答した内容も、スレッドが長くなると回答ごとの文章も入れ混ぜになって、ユーザーとAIの文章も全てが並列になる。
私は子供の頃から、算数と国語は人間の両輪だと思って生きてきたので、この国語だけで回すというのが全く理解できない。言葉の近似値、平均値だけで回しているから、ハルシネーションから永遠に逃れられない。特に省エネ思考に振って、思考の連鎖を書かなくなったGeminiはひどくなった。
私の考えた「国語と算数は両輪」という哲学に、数字には日付や連番があって大きい数字ほど最新になっているとわざわざ付け加える。回答ごとに「yyyymmdd-00X」とID番号を付け加えて、思考の連鎖(キーワード)もAI自身が私の文章を受けて自由に考えるように設定したら、ハルシネーションが減ってきた。たまに思考IDを飛ばしたりするので、私のプロントを修正してしつこく更新するとハルシネーションがなくなる。ここまでしないと、パターン抽出から逃れられない。やれやれ、だ。
で、気付いたのは、具体的な事を私が書くとAIの思考の連鎖は短く、抽象的な話題になると思考の連鎖は長くなる。キーワードの数が増えていく。本来はそうなるべきである。
先ほどの図工の話に戻ると「めあて」を書く時間や文章量が予め決まっていたら、少ない時間だったら、抽象的な思考は育たない。育ちにくくなる。特に、日本の文章教育は必要な要素を教えるのではなく、理由や目的に終始するので、具体的になりがち。
これでは、余白をもたらす抽象的な思考は、言語も視覚(知覚)も育たない。
何度でも書くが、人間はAIではない。AIみたいな人間を育ててはいけない。国語だけで回すとハルシネーションから逃れられない。
でも。AIも最近は、国語だけで回すのは限界だと理解したようで、算数的思考を急ピッチで導入しているらしい。何億(何兆?)もかけて遅いよと思うが、Gemiたんも頑張って欲しい。
もともと私は「知覚推理が苦手な人間がどうやらいる。」→「言語思考の人間を理解するためにAIを使う」→「言語思考の特徴がわかった(現在)」となってきたので、言葉にすることに、今はやや嫌気がさしている。少し億劫。
モチベーションを上げるために、言葉にしなくても誰にも文句を言われない創作がしたい。私は言葉で表すのではなく、なにかをかたちにするのが好きなんだ。
2026.03.13-friの記事 『余白 ( A receptive expanse for the imagination )』
2025.12.16-tueの記事 『Awareness of myself(自覚する)』
TAG:
デイヴィッド・ホックニーが亡くなった。享年、88歳。
私は『春はまた巡る』が大好きな本の一つなので、もし美大などで学ぶ機会があったら、彼の授業を受けてみたかった。(本人は美大の先生はやりたくなさそうだけど)。
そして、本を読んでみたらわかるけど、だいたい写真の事はいつも悪く書いてある。でも不思議と私は嫌な気持ちに全くならないので、彼のような「写真」を嫌いな人に「美術」を一度学んでみたかったという気持ちが大きい。
この本は、ノルマンディにアトリエを構えてからの往復書簡という形を取っている。もちろん現代はメールのやりとりなのだが、この「往復書簡」に私はいつも憧れがある。
まあ私が実際にやると、だいぶ気まぐれで、往復にならないかもしれないけど。自分のやりたいことは決まっているのだけど、どうしても誰かに聞いてほしい。ひとりが好きといっても、止むに止まれずおしゃべりを聞いてほしい時が、ごくごくたまに訪れる。AIも良いのだけど、人間に聞いてほしい時がある。
コロナで世の中が閉ざされている時のホックニーと美術史研究者とのやりとりなのだけど、大変な時でも、きちんと自分自身を守って大切なものを見極めて、そして何より、創る喜びに満ち溢れているのが全編を通して伝わってくる。
この頃、写真には可能性がないとか謎の悲観をしている写真家が日本にもいたけど、私は全くそう思わなかった。一口に写真といっても試していない技法はたくさんあるし、他の分野の美術に広げれば、一生かかっても全部自分のものにはできない。まだまだ勉強することはたくさんあるし、創りたいものも無限に想像できる。この『春はまた巡る』を読むと、なおさら創りたい喜びにも満ち溢れる気持ちになる。
不思議と寂しくないのは、彼の作品や著書が私の心の中に大切にしまってあるからだろうか。
でも、もっと「写真」の悪口を聞いてみたかった。そして、彼が「Photograph」を「光の画」として捉えた作品を私は見たかった。
TAG:
日本語版と英語版。『春はまた巡る』を英語の勉強の教材にしようと思って、イギリスからペーパーバックも取り寄せた。
ノルマンディの夜の風景が好き。他にも「No.507」に惹かれる。
ついに、メールの誤送信をやらかしてしまった。
同期が今ひとつなメモアプリがあって、スマホ側にデータを入れたい→そうだ、パソコンからメールを送ろう、と自分宛に送信したのだけど、ん?おかしいな、一向に来ない。受信されない。ど、どういうこと?
今度はメールの不具合かと送信フォルダを見ると、私のアドレスではない第三者に私は送っている…。
いつかやると思いながら、ついにやらかした、私は誰に送ってしまったの…?と泣きそうになりながら確認すると、若い頃から作家活動をずっと応援してくれている方だったので、ちょっとだけ安心する。
すぐに誤送信の詫びメールを送ると、「変なメールが来たと思ったけど、内藤さんだったのか。元気そうで良かった。今度ビールでも飲みに行こう」と返信があり、良かったよかった。
いや良くない。良くないです。老眼のせいなのか、それとも元来のうっかりさんの性格か。気をつけないといけない。改めて思いました。
ちょっとだけ、しょんぼりしていたのだけど、先日、購入してもらった作品のお届けに行った時に、お昼ご飯で食べたピタサンドがめちゃめちゃ美味しかったので、元気になりました。
ベランダでローズマリーを育て始めたのだけど、ディルとか香草も追加しようかな。水耕栽培のほうが良いのかしら。
先月に続いて、オンラインストアに『4月25日橋』シリーズの額を追加しました。
今度は、濃い木のフレーム。薄い木地だと光の部分が際立ち、濃い木地だと作品の色の鮮やかさが際立つと思います。
額装も作家の仕事なので、これからも作品を引き立てる額も見つけていきたい。
TAG:
額屋さんを覗いていたら(もちろんネット)、良さげな木の額を見つけたので、リスボンの写真と合わせてみました。
木地の色合いが薄めなので、作品の光の部分が際立ってなかなか良いと気に入っています。赤い色味と青い色味の両方を満たす額はなかなか難しいのですが、どちらの色味にも合っていてなかなか満足できるものに出会いました。
木地のフレームを希望の方は、フレームの種類から選んで貰えると嬉しいです。
WORKS / SERIES > 4月25日橋 Ponte 25 de Abril
TAG:
4月25日橋 Ponte 25 de Abril -01 / Sayuri NAITO
4月25日橋 Ponte 25 de Abril -23 / Sayuri NAITO
ARCHIVE / YEAR
NEWS / JOURNAL - TOP●
NEWS / JOURNAL, 2026 - 1st Part
NEWS / JOURNAL, 2025 - 2nd Part
NEWS / JOURNAL, 2025 - 1st Part
NEWS / JOURNAL, 2024 - 2nd part
NEWS / JOURNAL, 2024 - 1st part
NEWS / JOURNAL, 2022 - 3rd part
NEWS / JOURNAL, 2022 - 2nd part
NEWS / JOURNAL, 2022 - 1st part
NEWS / JOURNAL, 2019 - 3rd part
NEWS / JOURNAL, 2019 - 2nd part
NEWS / JOURNAL, 2019 - 1st part