# 子供時代
月面探査機のモモンガSLIMくん。とうとう、夜を超えることができなくなったらしい。しかし、「たゆたえども沈まず」という言葉があるように、逆立ち着陸してしまったままでお疲れなのだから、また元気になるまでじっとしてたら良いよ、と思っていたら、NASAの衛星からのレーザー照射を受け取ることができたみたい。
これにより、SLIMくんを目印にいろんな探査機が今後活躍しやすくなるようだ。彼を道標に月へ着陸した後は、ぜひ他の探査機たちはSLIMくんの逆立ちを直してあげてほしい、笑。
困難な時は抗うだけではない。状況が変わって再び浮上してくるまで、その場所に留まっておく。
暑くてあまり展示を見に行けていないけど、基本的に私は、何を見ても、どんな本を読んでも、写真だったらこういうことかな、自分の写真に活かせそうだな、とつい考えてしまう、エコというか、ある意味コスパが良いというか、まあ幸せなタイプなので。
美術や音楽の授業を無くした方が良い。というツイッターを見て、試行錯誤を学ぶには、言葉だけではなく身体も動かすのが一番わかりやすいのに、随分ともったいないことを言うと思った。
もちろん、不器用な人はいる。うちの夫は左利きというのもあって、道具を使うと恐ろしく不器用。その代わりに、身一つで対応できるものが得意だ。私も小学生の時にピアノは習っていて、なんとか伴奏が出来るくらいまでは上達したけど、はっきり言って夫のほうが上手い。部活も身一つ系のハンドボールとレスリングをしていたらしい。道具を使わない身体能力がめちゃくちゃ高い。それに対して、私はテニス部だし、カメラを使って写真を撮っているので、道具を使うのに向いている。
身一つか道具を使うか。小学生の時にいろいろな授業の中から自分に向くものを見つけていく。習い事以外のものに触れる経験は、知識と教養を深めてくれる。最近の小学生は、みんな手足が長いので、それだけでもかなり有利なんだから、中学受験だけではなく、身体を動かすスポーツや音楽、美術もぜひ挑戦して貰えたらなあと思う。
ちなみに私は、体育は5段階評価で4。夫は常に5。そんな夫でも、代表合宿に呼んで貰ってオリンピック代表候補を見た時に、あまりにもの身体能力の高さにびっくりしたらしい。お声がかかって、JAPANティーシャツを貰えただけでもとても光栄なので、死んだ時にはぜひ棺桶に一緒に入れてほしいと今から言われている。w
オリンピックを開会式から見ていて、色々な話題を目にしたけど、柔道の審判は未経験者でもなれる、というのが一番衝撃的だった。だから、細かい技術を見れないのかと、一連の判定にすごく納得した。
デイヴィッド・ホックニーが『秘密の知識』の中で、技術的な知識が顧みられなくなってくると、そのツケがやがてまわってくる。というような事を言っていたのを思い出した。技術は支えるもの。それなくして、どの分野も成り立たない。
とかく言葉にすることが求められる時代だけれど、身体を動かさないと形にならないもの、スポーツや音楽、美術は、言語思考だけではなく、視覚思考がとても大切なんだ。
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実家に帰った際に中学の通知表を見て、自分でも意外だったというか、すっかり忘れていた事は、2回も学級代表をしていた事。
1回目はよく覚えている。中学1年生の一学期。B型ゆえに、つい身も蓋もないことが口から出てしまう私の性格を知っている友達に、「さーちゃんだったら、上級生にもきちんと意見を言ってくれそう」と推薦され、学級代表を引き受けた。
意外なのは、ニ年生の時の2回目。持ち回りだったのかもしれないが、通信欄には「クラスのリーダーとして何事も真剣に取り組むことができました。やる気満々のその姿はたのもしく、他の人をもやる気にさせてくれます」と書いてある。自分でもびっくりだ、笑。
他にも、社会の科目では「授業を引っ張っていってくれるリーダーです」と記してある。益々意外、笑。
今の自分は、ひとりで試行錯誤するのが何よりも至福と思っているので、リーダーとかしていたのかと思うと、はー、へー、ほー、意外だねーとか思っちゃう。
でも、これで気が済んだのではと思った。
作品作りもそうだけど、私は気が済むまでとことんやる。やらないと自分の気が済まないし。で、気が済むまでやると、次の新しいことが始まる。興味の対象が移る。それを繰り返す。
まあ、誰しもリーダーになってみたいというのはあるだろうし。でも、先生の評価とは別に、根本的に私は人をまとめるとか、そういう事が向いてるとは自分でも到底思えない。
少女漫画でも、「◯◯くんの事、好きなの…」と周囲に打ち明けて周りを動かすようなタイプとか、優等生のフリをしてみんなを巻き込んで帰りの会的な糾弾をするタイプとか、本当に共感できなかった…。
人を動かすんだったら、自分ひとりでやる。その方が早い。
「人は、三人集まれば派閥や宗教が始まる」という言葉もあるから、人の考えを整理をしてまとめ上げるのは大変というイメージが強い。向いてる人にお任せしたい。
でも、それなりに頑張ってたのね。ふふ。通信欄のコメントを見ると、私は、明るく楽しく、そして自分に素直な学生生活を送っていたようだ。
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46歳になりました。
クリスマス前に風邪を引いて拗らせてしまったので、今年は年賀状を出せずに失礼しました。頂いた皆さま、ありがとうございました。
昨年は、父がケガをして手術をした為、秋には農作業を手伝いに広島の実家に帰省したり、あとはマンションの理事になってしまったので、会合に出たり。
慣れない事を色々頑張って、一年の疲れが溜まっていたのか体調を崩してしまった。元気になったけど、目の下のクマが取れないのは中年だからと自分に言い聞かせてる。。。
でもコロナがあったので久しぶりに帰省出来て良かったです。
うちの田舎は未だに屋号で近所の人と呼び合うのですが、内藤家の屋号は「吉永」と言います。「吉永」で女の子が生まれたから「小百合」と名付けられました。。。なんと安直なのでしょう。子供の頃は、きちんと名前に込められた由来のある人がかなり羨ましかったです。
あと、30年振りに通知表のコメントを見たら、先生達は勉強だけでなく生活面もよく観察してくれてたんだなと妙に感心してしまいました。私は中学生から性格がほぼ変わってない。笑
【中三、1学期の通信欄】
「自分で計画し、実行できる意思の強さと行動力を持っています。不得意な事に対して粘り強く取り組めるよう今年の夏休みを利用して頑張ろう。」
と短い文書で、私の性格を実に的確に書いてあり、、。先生はよく見てるねぇ。ま、親もきちんとわかっていたみたいですが。
私の不得意なことは明らかに事務作業。。。
しかし、若い頃と違って定期的に領収書が整理できるようになったので、この時期にいつでも作品制作の事を考えられる幸せを私は手に入れましたよ。
1学年1クラス20人前後の山の中育ちだからかもしれないけど、先生達は個人をきちんと見て、見抜いてた。その上で色んな事を挑戦させてくれていたんだなと思いました。
新作が完成しつつあるので、今年は個展が開催できたらと考えています。
震災が起こって大変な一年の始まりとなりましたが、いつもと変わらず、読書を心の拠り所として粘り強く頑張ろうと思います。
たまーに、オンラインストアのNEWS&STORYも更新しています。
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10月後半から11月にかけて、広島の実家に帰省してきた。
理由は後でまた書くとして、進学で街の高校へ行って一人暮らしを始めてから同じ県内だけど3日以上実家で過ごすことがなかったので、1週間余りも滞在するなんて実に30年振り。
無駄に大きな田舎の家なので、ちょっと寒くて上着を取りに行くのも広過ぎてやたらと歩かないといけないので面倒。やっぱり、狭くても東京の我が家が落ち着くわー。
なんて言ってたら、母が「子供の頃の成績表やら絵画とか全部取ってあるで」と来たので、自分の子供の頃とめちゃくちゃ久しぶりに向き合ってきた。
記憶通りの事もあれば、すっかり忘れていた事もあって。
国語よりも算数が好き。(これは合っていた。小学校6年の時点で、国語4、算数5)
あとは、記憶よりも絵を描くのは楽しかったみたいで、毎年、広島県の絵画コンクールに入賞していた。
小3の時の、稲刈りの絵。
背景と同系色の人物を際立たせるために、点描画を施すという、なかなか秀逸な作品。
このアイデアは先生によるものなのか、自分で思いついたのかは記憶にはないけれど。構図も良く、余計な知恵がないので、伸び伸びして良い作品だと、母と盛り上がった。(ちなみにこのホクロの女性は母ではない。このおばちゃんは誰なんじゃ?全く覚えていない…)
母はまだ60代なので、終活はちょっと早い気もするが、いよいよ死にそうになったら、成績表と賞状、子供の頃の作文や絵画やらを私に渡してくれるらしい。
私の「旅」の始まりの一冊となった大切な『地球はまんまる』の読書感想文も保管してあったし、保育園の頃の連絡帳も残っていた。
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私の読書好きは、幼少の頃から自然と本に手を出していたというよりも、子供の頃にありがちな、何か新しいものがどうしても欲しいという単純な欲求から来ている。
小学校2年生くらいの時。両親がかしこまって「ちょっとそこに正座しなさい。今日から、お父さんお母さんと呼びなさい」という謎の儀式を取り行った後から、おもちゃの類を一切買ってくれなくなった。シルバニアファミリーが欲しかったのに。散々ゴネた後、もしかしたら本だったら買ってくれるんじゃない?と思ったことから始まったことをよく覚えている。
そのうち、「うちの子はよく本を読むわ〜。誰に似たんじゃろー」とか親戚の前で言ってるし。しめしめ。うまくいったな。と思っていた。
でも大人になってよくよく思い出したら、街の百貨店(天満屋)に行っても、おもちゃ売り場ではなく本屋の前あたりに連れて行かれて、「この本が欲しい」と初めの一冊を自ら選ぶように仕向けられていたし、ああいう風に言っておけば、サユリの事だから益々調子に乗って本を読むに違いないという算段があったに違いない。親は全てお見通しである。
まずは一冊、自分で選んだ本を最後まで読む。内容が高尚だとかそういうのはどうでも良くて、親から見て明らかに偏った本でなければ、本人の好きにさせてくれる。一冊ずつ、読書を積み重ねる毎に夢中になる。やがてシリーズものが欲しくなる。
好きだったのは、倉橋燿子『さようなら、こんにちは』全20巻。
同世代の、全国の小学生の女の子達の中で流行っているものから自分で好きな本を選ばせてくれた事は、何もないトトロみたいな山間の村で生まれ育った私にとって、とても幸せだったと思う。『ピチレモン』も『明星』も買ってくれたし。もちろん、流行っていた文通もした。
街まで買い物に出かけるたびに欲しいと言って買ってもらう。次に買うまで、繰り返し読む。それを20巻分きちんと続けたから、親はそれで良しとしていたようだ。
学校で借りれる文学作品でもなく、親の好みでもなく、自分だけのものにしたい。その欲求をきちんと満たせてくれた。本を、物語を大好きにさせてくれた事を今でもとても感謝している。
本はさまざまな国にも時代にも連れて行ってくれる。昔だけでなく、生きている世界線が違う場所とも通じている。誰かの気持ちに感情移入したり。忙しい。私とどこか、私と誰かを繋いでくれる。安ぎと幸せ。物語から文化や歴史、人間の心の機微を読み取って、いろんなものと行ったり来たりする術を学んだように思う。
『プロファイリング』という言葉が流行った10代後半の頃。マーダーケースブックみたいな本をよく読んでた時に、一度だけ「お前は何になりたいの?」と軽く咎められた事を覚えている。黒歴史である。
それ以外は何も言われない。読めとも読むなとも言われていない。いつも好きにさせてくれる。写真を始めてからも、こういう写真集を見ないと駄目だと周りから言われた事もない。自分で選びなさいと、好きにさせてくれる環境にいつもありがたいと思っている。
(もしかしたらアドバイスはされたかもしれないが、覚えていないだけかも。私の事だから人の話は聞いていない可能性の方が高い…)
あとはパズルも大好きだった!
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