内藤家の一番古いお墓には、「嘉永」の年号が刻まれている。その20年くらい前から住んでいたと考えると、だいたい写真のはじまりと同じくらいの歴史がある。そう思うとなんとも言えないくらい不思議だ。 江戸時代から農家のおうちなので、どう育つかわからない、場合によっては実らないかもしれない、そういうものたちに、手をかけて、立派になるように大きくしていく。ものづくりの遺伝子は代々受け継がれているのではないか。写真家として作品を作る道を選んでしまったけれど、もしかしたら結構向いているのかもしれない。最近、そんな風にようやく思うようになってきた。 商人の血は流れていないので、お金を稼ぐのは向いていないと思うが…。商いの運勢はどこで巡り会えますかね…。 写真家としての「運」がないかと言えば、まあ、ある。今年の始めくらいに、ペンシルベニア大学の図書館から納入依頼がきた時は、びっくりしたけど嬉しかった。少し前の作品だから、発表当時とは世の中の状況が違う。長く時代に耐えられるように、普遍的なテーマで作品を作っているとはいえ、時間と場所を超えて必要だと言われたようで、今更ながらに幸せを感じている。でも、どこで私の写真こと知ったんだろうねえ。 ある日、どこかの誰かが私の作品を知る。今まで、なかなか縁が無かった国と繋がる。撮影した事のない国からもお声がかかるのは不思議だ。理由はあるのかもしれないし、ないのかもしれない。そんな感じで、ものごとは進んでいく。 良かったら、ぜひお手元に一冊置いて貰えると幸せです。(実物を見たいという方は、東京都写真美術館の図書室に納入されていますので、展示を見るついでにどうぞ。) 21歳くらいの、まだ何にも考えてないにも程があるぞ、と説教したくなるくらいに、ただただ惹かれたものに反応していたころの写真。でも、今とあまり好みが変わっていない…。まあ、この間、一貫しているっていう話をしたばかりだし。 もちろん、変わったところは、きっとあるだろう。でも、いろんな写真を見ていろんな影響を受けているはずなのに、変わらなかったところ、変わりようがなかったところ、こういうものの積み重ねが大切なんだろうな。 それで、リニア新幹線が中国山脈を突っ切って九州まで繋がると、もう少し頻繁に実家に帰れるんだけどねえ。2拠点生活をするほどマメなタイプではないんだけど、実家は守らないといけないし。広いアトリエもできるかもしれない。願望…! そういえば、30歳ぐらいの時、私の写真を見て「なぜ、人がいないのか」という質問をたくさん受けた。私からすると「なぜ、人が写っていないといけないのか」と問いたかった。
前にも書いたかもしれないけど、写真を始めた20歳ぐらいのころ。当時、アシスタントで勤めていた広告カメラマン事務所の先輩に目黒川の橋の写真を見て貰った時に、「こういうのは、誰かが通った時に撮るものなんだよ」とアドバイスをされて、随分と不思議なことを言うんだなと思ったことを今でもしっかり覚えている。 人がいないから、良いと思ったのに。 その時思ったことは、私の中からずっと消えなくて。ポルトガルへ行く前、自分の今まで撮ってきた写真を見返した時に、やっぱり私は「人が写ってないけど、人の気配が残っている写真」が好きなんだなと改めて思った。 思い切って、人を撮らずに旅をしてみよう。人の気配が、それが街のかたちを作る。 気配には濃度があって、雨が降ると静かになったり、光に包まれると人の温度や気配は溢れてくる。 場所や、例え技法が変わったとしても、街をかたちづくるものは変わらない。そう考えて、作品を作っている。 新進作家展の時に、一緒にトークショーをした石川直樹さんに「内藤さんは、すごい一貫してる」と言われたことを覚えている。自分は基本的にシンプルな人間だし(マルチタスクではないとも言う…)、何よりも、誰かの作品を下地に作っているのではなく、自分の中から出てきたものを作品にしているので、ブレる必要がない。 意外に思われるかもしれないけど、モノクロで人が写ったスナップ写真は昔から大好きだ。最初はブレッソンを好きになった。そして、森山大道を好きになったのは36歳ごろ。アラーキーは38歳ぐらい。ロバートフランクに魅了されたのは43歳くらいで、まあ、写真好きとしてはかなり遅咲き感があるけれど。名作と呼ばれるスナップ作品たちはどれも素晴らしくて、自分からその作家の魅力に気づけてよかったと思っているし、その時の感じた事も大切にしたいと思っている。 でも。 誰かの作品で好きなものと、自分の中から出てきたものは違う。 誰かに憧れたとしても、私はその誰かにはなれないのだし、だからこそ、自分の中から生まれたものを大事にしたいと思う。 言葉の付加価値や文脈の中で制作する現代のアートからはかけ離れている自覚はあるけれど、まあ、ひとりぐらいは私みたいな写真家もいても良いじゃないって思っている。 最近は人が写ってないことも、わたしがPhotographを光の画として捉えていることも自然に見て貰えるようになってきたし。 夫からも、「ひとりご領主」タイプと言われた事もあるけど、自分の作品の世界は、自分でひとつずつ積み上げていく。 古典と天体観測。
東京ではオーロラは見れないけど、テレビやネットでたくさん見たので満足。一生分見たかも。 いにしえの時代より、オーロラをモチーフにした和歌とかあるのかしらと検索したら、鎌倉時代、藤原定家の『明月記』に赤気(オーロラ)の事が書いてある。 日本書紀にもあるし、織田信長は赤気を見て凶兆だとは捉えずに戦に行ったらしい。 古文は返り点がどうとかこうとかで、あまり授業が楽しいと思わなかったけど、こうやって、今起きてる天体現象といにしえを行ったり来たりするとはるかに興味深い。 あと、『明月記』のタイトルがとても好み。言葉の響きが良い。書かれたのが1180年〜1235年で、それから約800年後に「藤原定家はいい題名を付ける。なかなかセンスがある」って思うんだからおもしろい。 こうやって長い年月を経て古典になっていくことを思うと、自分の作品はやがて古典となって残っていくのだろうか。美術館には収蔵してもらっているが。古典と呼ばれるようになるには、きっといろんな解釈が必要なんだろうな。 有名な古典作品に多くの現代語訳があるという事は、訳者の人数分の解釈があるという事になる。私にとっての『源氏物語』は「詩(うた)に詩でかえす、歌物語」のイメージなんだけど、その解釈と現代語訳が存在するのが、古典の素晴らしいところだと思う。 A・ウェイリー訳(解釈)の『源氏物語』を高校生の時に読んでいたら、もっと古文が好きになっていたかも。 そう思うと、作品の解釈はたくさんあったほうがいいかもしれない。見る人によって感じる事は違うだろうから。 まあ、あんまり作家の考えとかけ離れるとアレだけど。でも死んだあとは関係なくなるのか。なるほど。で、死後は作家が語った言葉が大切になるのだろう。そう思うと、「日々のメモ(ぜんぜん、毎日ではないが…。)」は続けていこう。 作品のセルフ解説は、オンラインストアの記事のほうがおもしろいと思うので、そっちを読んでください。 そうそう。先日のプライムニュースに、SLIMのプロジェクトマネージャーの方々が出ているのをちゃんと見ましたよ。 小型月着陸実証機のモモンガSLIMくん、うっかり逆立ち着陸をしてしまったかと思いきや、怪我の功名で、石が10個も映っていてかなりラッキーな状況ならしい。月の石に犬の名前を付けて愛でながら観察をしているところも良い。 お友達のインドのチャンドラヤーンくん(月探査機、ヒンディー語で「月の乗り物」という意味) が、逆立ちしているSLIMくんの画像を送ってくれたりして、仲間もいて心強い。ぜひまた夜を乗り超えてほしい。 ところで、テレビに出ていたプロジェクトマネージャーの方が付けていた、SLIMの缶バッチやワッペンはどこで売ってるんだろう。JAXAに行かないと買えないのだろうか。欲しい…。 おすすめに流れてくる大学の先生たちのポストを眺めていると、どこも似たような事が問題というか話題になっているんだなと思う。
論文の書き方を、体系的に教えるべきか、いやいや様式も含めて自分で取得すべし。みたいな感じで繰り広げられている。 自分がワークショップで教えた経験からすると、放置しておいても勝手に育つのを待つのが良いか、最初から体系的に教えるのが良いかは、結局のところ、大人になるまでに試行錯誤が身についているかに尽きると思う。 何よりも、手を動かすのは本人なので、この事を理解できている人は体系的に学ぶとパワーアップできるが、身についていない人は答えは与えてくれるものと思いがち、という印象。 完全放置スタイルよりは底上げにはなるかもしれないけれど。主体的に試行錯誤できる人と受け身の人では、体系立てて教えても結果として差は開いてしまう。 自分の思うような答えを与えてくれないという気持ちが大きくなり過ぎると、アカハラだとか感じてしまうのではないかと思った。 そこは、最後に根性を見せろよと昭和生まれとしては言いたいけど。 コスパもタイパも人によって違う。ある人には無駄かもしれないけど、別の誰かには大切な試行錯誤だったりするし。流れている時間は人それぞれ。あまりそれが許されなくなると、みんな同じような内容になってしまう。 テーマはだれかに与えるものでも、第三者から、もたらされるものでもない。テーマは本人から生まれるもの。 大学の論文の書き方でさえ話題になるってことは、多くの分野において体系的な教えはまだまだないような気がする。(写真もだが…。) 最初からできる人、次に試行錯誤して自らできるようになる人、以上。みたいな。オリンピック選手とかを見ていると、最初からできる上に、試行錯誤が当然で、そこに疑問も持たずに当たり前のように積み重ねられる人が結果を残して行く。 日本は先に教育するより、発掘してから教育するスタイルを長らく取っていたのではと思う。 始めに体系的な教えを受けたとしても、技術を自分のものにするのは時間がかかるし、コツは自分で掴むもの。常に言い聞かせるようにしている、自分に。 モモンガSLIMくん、2回目の夜を超える。
月面探査機のSLIM。中継を見た時から、着陸体制と姿かたちがモモンガに似てるという事で我が家ではそう呼んでる。ツイッターもフォローした。 モモンガSLIMくんはずっと逆立ちのままで夜を乗り越えたのだろうか。愛らしい。でも、シュタッではなく、ふんわりと確実に着陸するためには、ムササビくんのほうが良かったのではないだろうか。そこも可愛い。 で、一番びっくりしたのは、なんとキヤノンが小型衛星を作っていたこと。すごい!!ロマンがあって非常に良い。5年に一回くらいしか新しいカメラが欲しい病にはかからないけど、私のささやかなカメラ購入費から未来に繋がっているかと思うと、実にエモい。 宇宙のために、エモい未来のために、ずっとキヤノンを使い続けたいと言いたい。だけど、今、猛烈にフォクトレンダーのUlTRON 75mm F1.9 SCが欲しい…。笑 |
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6月 2024
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