おすすめに流れてくる大学の先生たちのポストを眺めていると、どこも似たような事が問題というか話題になっているんだなと思う。
論文の書き方を、体系的に教えるべきか、いやいや様式も含めて自分で取得すべし。みたいな感じで繰り広げられている。 自分がワークショップで教えた経験からすると、放置しておいても勝手に育つのを待つのが良いか、最初から体系的に教えるのが良いかは、結局のところ、大人になるまでに試行錯誤が身についているかに尽きると思う。 何よりも、手を動かすのは本人なので、この事を理解できている人は体系的に学ぶとパワーアップできるが、身についていない人は答えは与えてくれるものと思いがち、という印象。 完全放置スタイルよりは底上げにはなるかもしれないけれど。主体的に試行錯誤できる人と受け身の人では、体系立てて教えても結果として差は開いてしまう。 自分の思うような答えを与えてくれないという気持ちが大きくなり過ぎると、アカハラだとか感じてしまうのではないかと思った。 そこは、最後に根性を見せろよと昭和生まれとしては言いたいけど。 コスパもタイパも人によって違う。ある人には無駄かもしれないけど、別の誰かには大切な試行錯誤だったりするし。流れている時間は人それぞれ。あまりそれが許されなくなると、みんな同じような内容になってしまう。 テーマはだれかに与えるものでも、第三者から、もたらされるものでもない。テーマは本人から生まれるもの。 大学の論文の書き方でさえ話題になるってことは、多くの分野において体系的な教えはまだまだないような気がする。(写真もだが…。) 最初からできる人、次に試行錯誤して自らできるようになる人、以上。みたいな。オリンピック選手とかを見ていると、最初からできる上に、試行錯誤が当然で、そこに疑問も持たずに当たり前のように積み重ねられる人が結果を残して行く。 日本は先に教育するより、発掘してから教育するスタイルを長らく取っていたのではと思う。 始めに体系的な教えを受けたとしても、技術を自分のものにするのは時間がかかるし、コツは自分で掴むもの。常に言い聞かせるようにしている、自分に。 コメントの受け付けは終了しました。
|
アーカイブ
8月 2024
カテゴリ |