そういえば、コロナ初期にカメラ雑誌の休刊が相次いだ際に、「写真の賞をもらっても意味がない」みたいな意見をSNSでよく目にした。
確かに写真は作品として現状あまり売れていない。というか、写真は未だに美術の分野に入れてもらってもいない。 などなど、写真界の実情を嘆いての事からかもしれないし、或いは、別の考えがあったのかもしれない。SNSの特性ゆえ、短すぎる文章からは真意は伝わらない。 もしかしたら、コロナで悲観的な状況になっていたのかもしれない。でも、自分だけではどうする事もできない、コロナに抗ってしまったら死が待ってるかもしれないような状況の時こそ、私は、賞をもらっていて良かったと思った時はない。 文化庁継続支援事業。 写真の専門学校や写真学科を卒業した方は、学歴という経歴がある。でも、私のように他の分野を学んだ者には、写真の分野の始まりの経歴(学歴)がない。 だからこそ、公募に応募して、個展の副賞を含めた賞を貰って、写真家の始まりの経歴として自分のプロフィールに書ける事がどんなにありがたいか。 文化庁の補助金に対していろんな意見があったことは知っているが、私は本当にありがたかった。2010年に買ったMac Pro のグラボとSSDとUSBカードを買って魔改造できたのは助かった。写真用品のいろんなものも購入できたし。 事業名の通り、なんとか継続できている。 フォトプレミオの賞が無かったら、東京都写真美術館の新進作家にも繋がっていないだろうし、作品も買って貰う機会にも恵まれなくて、実績も少なく、申請書を書くのが大変だったと思う。 経歴と実績はお互いに紐付いて、お互いを証明しなければならない。 賞が全てだとは思わないし思えない事もあるが、だからと言って、人様に写真家としての経歴のない人生を歩ませる事はできない。 と思ってるので、写真が好きでずっと続けている方には、私はそっと公募をお勧めしています。 経歴の初期における公募の意味合いは、技術面を見ているところが大きいと思う。 フォトプレミオは発表が個展形式だったので、自分のテーマに沿って撮影が出来ているか、それらがプリントで表現されて、量と質が揃っているか。その辺りを見られていたと思う。 規定枚数30枚というのが大切で、その30枚を見れば、枚数を絞って展示をした方がテーマが伝わるかもとか、もっと枚数を増やした方が良いのでは、或いは、他に差し替える写真がありそう。などなどを見ている。 と、40代になったので俯瞰してみる。(というか、自分も写真を見てもらった際に、そんな感じでアドバイスを受けています) 量と質。 量から質が生まれる事も確かだけれど、質のある量を撮れるように、量と質を自由に行き来出来るように、その為に支える技術が大切になる。 技術を身につける、技術が自分のものになる、撮りたいテーマに合わせて。 技術は時間がかかるかもしれないが、量と質を行ったり来たり出来るようになってから、自分は作品が評価されるようになってきた。 まあ、私の20代の頃はたくさん公募があって、別に大賞じゃなくても、新世紀もひとつぼもあって、ユーナとフォトプレミオも足したら、50人くらいはなんらかの賞を貰えた。 一年で50人くらい選ばれるんですよ。5人だったら難しいけど、50人の枠だったら頑張ったらなんとかなるんじゃないって思って、私は応募しました。 という事で、こんなに大変なコロナもあって戦争もある時代に写真を心ざした若い方に向けて、新人賞も含めての公募がたくさん出来る事を望みます。そうなると良いなあと思ってます。 実家に帰った際に中学の通知表を見て、自分でも意外だったというか、すっかり忘れていた事は、2回も学級代表をしていた事。
1回目はよく覚えている。中学1年生の一学期。B型ゆえに、つい身も蓋もないことが口から出てしまう私の性格を知っている友達に、「さーちゃんだったら、上級生にもきちんと意見を言ってくれそう」と推薦され、学級代表を引き受けた。 意外なのは、ニ年生の時の2回目。持ち回りだったのかもしれないが、通信欄には「クラスのリーダーとして何事も真剣に取り組むことができました。やる気満々のその姿はたのもしく、他の人をもやる気にさせてくれます」と書いてある。自分でもびっくりだ、笑。 他にも、社会の科目では「授業を引っ張っていってくれるリーダーです」と記してある。益々意外、笑。 今の自分は、ひとりで試行錯誤するのが何よりも至福と思っているので、リーダーとかしていたのかと思うと、はー、へー、ほー、意外だねーとか思っちゃう。 でも、これで気が済んだのではと思った。 作品作りもそうだけど、私は気が済むまでとことんやる。やらないと自分の気が済まないし。で、気が済むまでやると、次の新しいことが始まる。興味の対象が移る。それを繰り返す。 まあ、誰しもリーダーになってみたいというのはあるだろうし。でも、先生の評価とは別に、根本的に私は人をまとめるとか、そういう事が向いてるとは自分でも到底思えない。 少女漫画でも、「◯◯くんの事、好きなの…」と周囲に打ち明けて周りを動かすようなタイプとか、優等生のフリをしてみんなを巻き込んで帰りの会的な糾弾をするタイプとか、本当に共感できなかった…。 人を動かすんだったら、自分ひとりでやる。その方が早い。 「人は、三人集まれば派閥や宗教が始まる」という言葉もあるから、人の考えを整理をしてまとめ上げるのは大変というイメージが強い。向いてる人にお任せしたい。 でも、それなりに頑張ってたのね。ふふ。通信欄のコメントを見ると、私は、明るく楽しく、そして自分に素直な学生生活を送っていたようだ。 突然、ペンシルベニア大学図書館から写真集の所蔵依頼が舞い込んできて、
私の写真集『TRINITY』と『Once in a Blue Moon』を納品いたしました。 『4月25日橋』は冬青社から同時期に取り寄せ中とのこと。 セルフパブリッシング で刊行した、『TRINITY』と『Once in a Blue Moon』までお声をかけていただけるなんて嬉しい限りです。 サインを入れさせてもらって送りました。 海を越えて、アメリカの大学図書館に自分の写真集が所蔵されるなんて! 作品作りを続けていると、たまにこうして良いお話を突然いただく事があって本当に嬉しいです。 励みになります。 https://franklin.library.upenn.edu/bento?q=%E5%86%85%E8%97%A4%E3%81%95%E3%82%86%E3%82%8A#gsc.tab=0&gsc.q=%E5%86%85%E8%97%A4%E3%81%95%E3%82%86%E3%82%8A&gsc.page=1 そのうち、発注済みから閲覧可能になるでしょう。 1月は、日本はいろんな出来事が起こってしょんぼりしていましたが、この件で元気になってきました。 あと、しいたけ占いはなんだかんだ言ってよく当たる気がします。 ココハナ3月号、『銀太郎さんお頼み申す』第13話は能登の伝統工芸のお話。
着物と器を中心に、日本の歴史と文化が現代の視点で描かれている東村アキコの連載マンガ。 いつも、ちょっとだけ切ない。 偶然かもしれないけど、いや、おそらく地震発生後にネームを作ったんだと私は思う。能登の文化と伝統を大切にするんだという、優しくて強い意志が伝わってきて、ちょっとだけ泣いた。 震災で大変な時に、こういう表現の仕方があるんだなと思った。東村アキコ、さすがだな。 お話の中に「合鹿椀」が出てくるのだけど、もしかして、もののけ姫でアシタカが持ってた椀じゃない?と思って検索したら、やっぱり当たってた。一本歯の下駄を履いたジコ坊がアシタカにお粥をよそいながら、「ほう、雅な椀だな」のところで登場する器。 ちなみにうちの実家にある、漆の椀はどこのだろう。昔の家なので、黒の塗り(お葬式用など)と朱(お祝い事用)の椀が何客かある。昔は、結婚式もお葬式も家で行なってたからね。 箱になんて書いてあったかな。田舎なのでそんなに高いものだとは思えないけど、今度実家に帰った時に見てみようと思った。 46歳になりました。
クリスマス前に風邪を引いて拗らせてしまったので、今年は年賀状を出せずに失礼しました。頂いた皆さま、ありがとうございました。 昨年は、父がケガをして手術をした為、秋には農作業を手伝いに広島の実家に帰省したり、あとはマンションの理事になってしまったので、会合に出たり。 慣れない事を色々頑張って、一年の疲れが溜まっていたのか体調を崩してしまった。元気になったけど、目の下のクマが取れないのは中年だからと自分に言い聞かせてる。。。 でもコロナがあったので久しぶりに帰省出来て良かったです。 うちの田舎は未だに屋号で近所の人と呼び合うのですが、内藤家の屋号は「吉永」と言います。「吉永」で女の子が生まれたから「小百合」と名付けられました。。。なんと安直なのでしょう。子供の頃は、きちんと名前に込められた由来のある人がかなり羨ましかったです。 あと、30年振りに通知表のコメントを見たら、先生達は勉強だけでなく生活面もよく観察してくれてたんだなと妙に感心してしまいました。私は中学生から性格がほぼ変わってない。笑 【中三、1学期の通信欄】 「自分で計画し、実行できる意思の強さと行動力を持っています。不得意な事に対して粘り強く取り組めるよう今年の夏休みを利用して頑張ろう。」 と短い文書で、私の性格を実に的確に書いてあり、、。先生はよく見てるねぇ。ま、親もきちんとわかっていたみたいですが。 私の不得意なことは明らかに事務作業。。。 しかし、若い頃と違って定期的に領収書が整理できるようになったので、この時期にいつでも作品制作の事を考えられる幸せを私は手に入れましたよ。 1学年1クラス20人前後の山の中育ちだからかもしれないけど、先生達は個人をきちんと見て、見抜いてた。その上で色んな事を挑戦させてくれていたんだなと思いました。 新作が完成しつつあるので、今年は個展が開催できたらと考えています。 震災が起こって大変な一年の始まりとなりましたが、いつもと変わらず、読書を心の拠り所として粘り強く頑張ろうと思います。 たまーに、オンラインストアのNEWS&STORYも更新しています。 |
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6月 2024
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