遅くなりましたが、本年もよろしくお願いします。
元旦早々、震災が起こってしまいさすがに動揺してしまいました。 2、3日は眠りが浅く、、、。 しかし、被災していない地域の私たちは、健康に気をつけて、医療リソースに負担をかける事がないよう、気をつけたいと思いました。 クリスマス前に風邪をひいて拗らせてしまったのも、回復してきましたし。目の下のクマが消えないのは、中年だからだと自分に言い聞かせよう。。。 落ち着いたら、我が家の防災用品も見直さないと。 こういう時、自分を落ち着かせてくれるのは読書なので、いつもと変わらず私は本と、そして自分の作品と向き合いたいと思います。 新作が完成しつつあるので、今年は個展を開催できたらと考えています。 できることを頑張ろうと思いました。 10月後半から11月にかけて、広島の実家に帰省してきた。 理由は後でまた書くとして、進学で街の高校へ行って一人暮らしを始めてから同じ県内だけど3日以上実家で過ごすことがなかったので、1週間余りも滞在するなんて実に30年振り。 無駄に大きな田舎の家なので、ちょっと寒くて上着を取りに行くのも広過ぎてやたらと歩かないといけないので面倒。やっぱり、狭くても東京の我が家が落ち着くわー。 なんて言ってたら、母が「子供の頃の成績表やら絵画とか全部取ってあるで」と来たので、自分の子供の頃とめちゃくちゃ久しぶりに向き合ってきた。 記憶通りの事もあれば、すっかり忘れていた事もあって。 国語よりも算数が好き。(これは合っていた。小学校6年の時点で、国語4、算数5) あとは、記憶よりも絵を描くのは楽しかったみたいで、毎年、広島県の絵画コンクールに入賞していた。 小3の時の、稲刈りの絵。 背景と同系色の人物を際立たせるために、点描画を施すという、なかなか秀逸な作品。 このアイデアは先生によるものなのか、自分で思いついたのかは記憶にはないけれど。構図も良く、余計な知恵がないので、伸び伸びして良い作品だと、母と盛り上がった。(ちなみにこのホクロの女性は母ではない。このおばちゃんは誰なんじゃ?全く覚えていない…) 母はまだ60代なので、終活はちょっと早い気もするが、いよいよ死にそうになったら、成績表と賞状、子供の頃の作文や絵画やらを私に渡してくれるらしい。 私の「旅」の始まりの一冊となった大切な『地球はまんまる』の読書感想文も保管してあったし、保育園の頃の連絡帳も残っていた。 10/1より、適格請求書発⾏事業者登録番号に対応しております。
仕入税額控除ができますので、ぜひ作品等ご購入いただけますと嬉しい限りです。 よろしくお願いします! 4.3畳の私の仕事部屋にはエアコンがない。
夏場は隣のリビングからサーキュレーターを使って涼しい風を送り込んでいる。今年の夏は暑かった。トトロみたいな山の中の村育ちの私には本当に堪えた。 私は集中したい時、誰かの気配を消したい。なるべく1人でいたい。閉じていたい。 という事で、夏場は自分の部屋とリビングの間のドアに布をたらしている。夫は別に気にしないよと言うが、私は凄く気になるので、薄い花柄の布を上から吊り下げている。結界みたいなものである。 ようやく涼しくなったので、連休中、久しぶりにドアを閉めた。自分ひとりになると本当に安心する。気配が静かになる。 なのに、リビングの向こうから声をかけてくる生き物がいる…。…、寂しいらしい…、笑。今の世の中は、どこでも常に対話が重要でね。とオープンドアポリシーの大切さを説明されたが、お断りしたい。 私はどう考えても陽キャな種族ではないので、オタクなのかなと思っていたんだけど、自他共に認める立派なオタク(夫)に、オタクはオタクで集う、君はひとりが好きなだけだ、オタクな装いを勝手にしないでほしい。と言われてしまった。。。 わかってるじゃないですか。ドアを開けないといけない時は自ら開く。普段は閉じていたい。 うちの夫は常にしゃべっている。 私の読書好きは、幼少の頃から自然と本に手を出していたというよりも、子供の頃にありがちな、何か新しいものがどうしても欲しいという単純な欲求から来ている。
小学校2年生くらいの時。両親がかしこまって「ちょっとそこに正座しなさい。今日から、お父さんお母さんと呼びなさい」という謎の儀式を取り行った後から、おもちゃの類を一切買ってくれなくなった。シルバニアファミリーが欲しかったのに。散々ゴネた後、もしかしたら本だったら買ってくれるんじゃない?と思ったことから始まったことをよく覚えている。 そのうち、「うちの子はよく本を読むわ〜。誰に似たんじゃろー」とか親戚の前で言ってるし。しめしめ。うまくいったな。と思っていた。 でも大人になってよくよく思い出したら、街の百貨店(天満屋)に行っても、おもちゃ売り場ではなく本屋の前あたりに連れて行かれて、「この本が欲しい」と初めの一冊を自ら選ぶように仕向けられていたし、ああいう風に言っておけば、サユリの事だから益々調子に乗って本を読むに違いないという算段があったに違いない。親は全てお見通しである。 まずは一冊、自分で選んだ本を最後まで読む。内容が高尚だとかそういうのはどうでも良くて、親から見て明らかに偏った本でなければ、本人の好きにさせてくれる。一冊ずつ、読書を積み重ねる毎に夢中になる。やがてシリーズものが欲しくなる。 好きだったのは、倉橋燿子『さようなら、こんにちは』全20巻。 同世代の、全国の小学生の女の子達の中で流行っているものから自分で好きな本を選ばせてくれた事は、何もないトトロみたいな山間の村で生まれ育った私にとって、とても幸せだったと思う。『ピチレモン』も『明星』も買ってくれたし。もちろん、流行っていた文通もした。 街まで買い物に出かけるたびに欲しいと言って買ってもらう。次に買うまで、繰り返し読む。それを20巻分きちんと続けたから、親はそれで良しとしていたようだ。 学校で借りれる文学作品でもなく、親の好みでもなく、自分だけのものにしたい。その欲求をきちんと満たせてくれた。本を、物語を大好きにさせてくれた事を今でもとても感謝している。 本はさまざまな国にも時代にも連れて行ってくれる。昔だけでなく、生きている世界線が違う場所とも通じている。誰かの気持ちに感情移入したり。忙しい。私とどこか、私と誰かを繋いでくれる。安ぎと幸せ。物語から文化や歴史、人間の心の機微を読み取って、いろんなものと行ったり来たりする術を学んだように思う。 『プロファイリング』という言葉が流行った10代後半の頃。マーダーケースブックみたいな本をよく読んでた時に、一度だけ「お前は何になりたいの?」と軽く咎められた事を覚えている。黒歴史である。 それ以外は何も言われない。読めとも読むなとも言われていない。いつも好きにさせてくれる。写真を始めてからも、こういう写真集を見ないと駄目だと周りから言われた事もない。自分で選びなさいと、好きにさせてくれる環境にいつもありがたいと思っている。 (もしかしたらアドバイスはされたかもしれないが、覚えていないだけかも。私の事だから人の話は聞いていない可能性の方が高い…) あとはパズルも大好きだった! |
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3月 2024
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